《高山本線・3日目・その3》
  
下油井駅でお話をしながら2時間ほどを過ごし、また列車に乗ってお隣の白川口駅にやってきました。
岐阜県加茂郡白川町坂ノ東に位置する白川口(しらかわぐち)駅は、1926(大正15)年3月15日に開業しています。
ここにも開業当時の木造駅舎があります。
ファサードの様子です。
緑色の三角屋根を持つファサードはシンプルな形です。新建材の白い壁に合わせて、木の柱なども白いペンキで塗られています。
三角屋根のファサードの妻部分に設置された駅名板です。
白い鉄板にJR東海のいロゴマークとゴシック体の黒い文字。JR東海仕様のシンプルなものです。
入口脇に貼られた建物財産標です。
昭和3年4月、開業より少し遅れての建立のようです。
入口右側、待合室の様子です。
こじんまりとした待合室には木のベンチが置かれています。壁は新建材のようですが、木目超で温かな感じがします。
入口左側、切符売り場の窓口です。
業務委託の駅なので、駅員さんがおられます。自動券売機はありませんが、みどりの窓口を併設していて、駅員さんから切符が買えます。
ホーム側の改札付近の様子です。
待合室と同じように、木目調の新建材が使われています。壁面には木のベンチが置かれ、改札口にはエメラルドグリーンの使用済み切符入れが設置されています。
ホーム側改札上に設置された駅名標です。
木目も美しい1枚ものの木の板にシンプルなゴシック体で駅名が記されています。
駅舎の反対側の島式ホームに設置された上屋です。5角形の妻部分がちょっと個性的です。
岐阜方面側から見たホームの様子です。
単式島式2面3線のホームを持ちます。駅舎側から1、2、3番線となっていて、通常の上下線は1、2番線から発着します。
島式ホームには待合室もあり、ホームとホームとの間は屋根付きの跨線橋でつながれています。
ワイドビューひだ号の一部停車駅であるだけに、立派なたたずまいのホームです。
駅舎から一番離れた番線には、当駅始発の上り列車が止まっています。ここから岐阜駅を目指すのは、ラインの色は同じでも型の違う、キハ11形です。
駅舎を出て、目の前の車道を渡ると、その先には高山本線に沿うように流れる飛騨川が見えます。
ついさっきの土砂降りで水嵩は増し、水も濁っています。
白川口駅とお隣の上麻生駅の間には、渓谷美で名高い飛水峡(ひすいきょう)があります。
昭和43年、崖崩れで2台の観光バスが濁流にのまれた「飛騨川バス転落事故」が起きたのもこのあたりです。この災害史に残るバス事故の際は豪雨の中、ダム決壊の危機を冒して一時的に水流を止め、数分間水位を下げて決死の捜索を行ったというドラマも伝えられています。
白川口駅で約40分を過ごし、キハ11形に乗って3つ先の中川辺駅にやってきました。
岐阜県加茂郡川辺町中川辺に位置する中川辺(なかかわべ)駅は、1922(大正11)年11月25日に開業しています。
ここにも開業当時の木造駅舎があります。
駅舎をやや斜め右側から見た様子です。
アイボリーに塗られた下見板張りの壁が美しい姿を見せています。
駅舎の左側妻部分の様子です。
下から上まで途切れることのない下見板張りの壁はアイボリーに塗られていますが、長年の風雪による塗りのはげ具合が味わいあるものになっています。
無人駅のため、駅事務室があったと思われる部屋の窓はに雨戸が立てられています。
ファサードの様子です。
三角屋根の屋根を乗せたファサードはシンプルな形です。妻部分に貼られた板の先は波型に切られリズミカルな感じです。庇を支える柱の周りにはフラワーポットが置かれていて、たくさんのきれいな花が人々の目を楽しませてくれています。
三角屋根のファサードの妻部分に掲げられた駅名板です。
1枚ものの板に立体的な白い文字は、上呂駅や焼石駅と同じタイプです。手作り感のある駅名板を照らすのは、白い傘をかぶった白熱灯。日が落ちてあたりが暗くなると、オレンジ色のやさしい光で駅名を照らすのでしょう。
入口の脇に貼られた建物財産標です。
大正11年11月、まちがいなく開業当時の建物です。
入口右側、待合室の様子です。
日の落ちかけた夕暮れの室内は薄暗く、無人駅のため人影もなくとても静かです。窓の下には木製のベンチが設えられています。
ホーム側から見た改札口付近の様子です。
縦羽目板張りの腰壁とハーフティンバーの壁はいずれもアイボリーに塗られています。
駅舎と反対側のホームに設置された上屋です。
駅舎と同じようにペンキのはげかけた板張りの妻部分がとても良い感じです。
岐阜方面側から見たホームの様子です。
対向式2面2線のホームを持ちます。ホームとホームとの間は屋根付きの跨線橋で結ばれています。
山間部を走る列車は平地に近づき、天気も安定してきたようで、夏らしい日差しが戻ってきました。
さて、この駅でこの夏の本当の意味でも駅舎めぐりの旅は終了します。美濃太田行きの列車に乗って、帰宅の途につくことにします。
夕暮れ間近の中川辺駅で約1時間を過ごし、また列車に乗って終点の美濃太田駅に到着しました。
岐阜県美濃加茂市太田町に位置する美濃太田(みのおおた)駅は、1921(大正10)年11月12日に開業しています。乗り継ぎのために下車した駅は、太田線、長良川鉄道(旧国鉄越美南線)の分岐駅でもあり、美濃加茂市の代表駅でもあることから、近代的な駅舎です。
いったん戻った夏空は、また雨雲に覆われてしまいました。
美濃太田駅で約30分を過ごし、この旅の終着駅、岐阜駅に到着しました。
岐阜県岐阜市橋本町に位置する岐阜(ぎふ)駅は、1887(明治20)年1月21日、東海道本線の加納駅として開業しています。高山本線としての開業は、1920(大正9)年11月1日です。
岐阜県の県庁所在地である岐阜市の代表駅であるだけに、また多くの路線のターミナル駅であるだけに、駅ビル、ペデストリアンデッキなど、近代的な設備を備えた駅です。
旅の終着駅を岐阜駅にしたのは、ムーンライトながら号に乗るためです。22時58分の発車時刻まで約3時間、夕食をとったりお茶を飲んだりとゆっくりしながら、臨時運行に移ったながら号を待ちました。
やがてホームに入ってきたムーンライトながら号は、定期運行時代のJR東海373系列車ではなく、JR東日本の183系列車でした。懐かしい国鉄色はよいのですが、ヘッドマークは「臨時」とだけ書かれていて、ちょっとがっかり。ま、確かに臨時列車だから、しかたないのですけど。
列車に乗り込むと、まだ席に余裕のある状態。座席番号を確かめ着席をして持参の上着をかけて眠りにつきました。空席が目立つ車内は、いつの間にか満席に近い状態になっていました。
ムーンライトながら号の方向幕は「快速」とだけ入れられています。「ムーンライトながら」の愛称は、すっかり消滅して、もうどこにもないんだなとさみしく思った瞬間でした。
ムーンライトながら号のリクライニングシートに揺られて約6時間、東京に戻ってきました。
写真は、本線といいながら、ローカル色豊かな高山本線で、2回の夜を過ごした高山からのお土産です。家族や友人、ご近所さんへはさるぼぼのおまんじゅう。さるぼぼの焼印が押された皮に包まれているのは、上品な甘さの白あんです。一口サイズのかわいらしいおまんじゅうでした。
お酒好きな家族と、飲み友達には、飛騨のお酒を。自分自身は下戸でお酒の味はわからないので、お店のご主人に相談。ご主人が進めてくださった一本、「純米吟醸・飛騨楽酒」です。友人によれば、とても飲みやすいお酒だとか(すみません、自分飲まないので評価できません)。
最後はお土産屋さんでレジを待ちながら目にとまったさるぼぼの携帯ストラップです。私自身は携帯にストラップはつけないし、家族もあまりつけないので、喜ばれないかもしれないなぁと思いながら、でもかわいいし、なによりも記念だからと1本購入。案の定、誰の携帯につけられることもなく、旅の思い出として保管されています。
2日間で、富山駅から岐阜駅まで、乗り継ぎ駅も含めて25個の駅を見てきました。多くの駅は豊富な木材を生かした木造駅舎で、温かな雰囲気を持った駅舎でした。自然の中で凛とした美しさを見せる鉄道施設は、その裏側では恐ろしい自然との闘いでもあったようです。豊かな水をたたえ、人々の暮らしの糧となる飛騨川や宮川も、一時自然が猛威を振るえばひとたまりもありません。そんな中での人々の多くの努力に思いを馳せずにはいられませんでした。
豪雪の地で人々を見守り続けていることは、塗装のはげ落ちた壁が表しています。だからこそ、いたんだ壁にすら、凛とした美しさを感じるのです。
2009年8月7日(金)