《高山本線・1日目・その2》
  
猪谷駅では2時間25分を過ごすはずでした。でも、その前に美濃太田行きの列車があることがわかり、約30分の滞在に短縮。
同じ高山本線でも、富山駅から猪谷駅まではJR西日本、猪谷駅から岐阜駅まではJR東海の管轄になります。富山県と岐阜県との県境に近い駅、この猪谷駅が境界駅となりました。
というわけで、普通列車のすべてはこの駅で乗り換えになります。JR東海管区のこの列車は、白いボディーにオレンジと緑のラインがきいた、キハ48系です。
ホームに設置されたJR西日本の駅名標です。
お隣の杉原駅が、ガムテープで消されているのは、JR東海管区だからで、決してそこに進むことがないからですね。
高山方面側から見た駅構内の様子です。
島式1面と多くの側線を持ちます。長いホームは駅舎と平行に東西に伸びます。
駅舎から遠い側を東西に分け、東側が1番のりばで上り・高山方面行き(JR東海)が、西側が2番のりばで下り・富山方面行き(JR西日本)が使用します。つまり、上下線の列車は、1本のレールの上に頭と頭、またはお尻とお尻をつき合わせる形で停車するのです。
1番のりばの向かい側は、切欠きホームになっていて、かつては神岡鉄道(旧国鉄神岡線)が発着していたのですが、2005年に廃止となり、現在では柵が設けられ、線路も撤去されています。
広い側線と立派な駅舎が往時をしのばせます。
猪谷駅から白いキハに乗って、お隣の杉原駅に到着しました。
岐阜県飛騨市宮川町杉原に位置する杉原(すぎはら)駅は、1932(昭和7)年8月20日に国鉄飛越線の駅として開業しています。県境近くの静かな駅にも、小さな木造駅舎があります。
無人駅の駅舎は扉も窓も閉じられ、待合室に入ることはできません。待合室にさえ入れればどんなに長い時間も平気な私も、ちょっと困りました。
入口の脇に掲げられた駅名板です。
厚い木の板に純和風の墨文字が、小さな駅舎に重厚な感じを与えています。
入口の脇に貼られた建物財産標(JR東海では建物資産標というようです)です。
昭和7年8月、開業当時の駅舎です。
駅舎脇のトイレには、レトロな看板がかかります。
ホーム側の縦羽目板張りの壁にはこんな掲示がありました。岐阜県最北端の駅だそうです。
待合室に入れないので、駅付近の散策に。
線路の向こう側から聞こえる水音に誘われて、川を探すことにします。畑で農作業をしていた地元の人に、川への道を尋ねしばらく歩きます。
力強い流れを持つ川は、宮川です。鮎釣りもできる清流ですが、このところの雨で水かさが増して、今はできないとは地元の人のお話でした。
川を離れ、山側へ。
小高い山の上からは、一面の棚田が見られます。みずみずしい緑色の苗が風にそよぎます。
近くの神社の木陰でしばらく涼をとり、そろそろ駅へ。
駅までの道路の端っこにこんな小屋が。掲げられたプレートには、「宮川村 スクールバス 待合所 杉原地区」と書かれています。
扉が硬く閉じられているのは、過疎化の影響でしょうか。それとも単に夏休み中だからなのでしょうか。
富山方面からみたホームの様子です。
対向式2面2線のホームを持ちます。対向式のホームとホームは頑強な跨線橋で結ばれています。一段高いところにある無人駅は、締め切って人の立ち入りを拒みつつ、美しい姿を見せています。
山間の秘境駅では、予定では3時間31分を過ごすはずでした。しかし、猪谷駅での急遽の予定変更で、50分ほどの短縮。それでも、お隣の猪谷駅まで小雨混じりだった空模様も県境を越えたとたんに快晴となり、待合室のない旅はちょっと過酷なものでした。
じりじりと照りつける太陽の光の中で、木陰に入ったときの清涼感を幸せに感じながら、次の列車を待ってホームのベンチに座りました。
過酷な旅をした杉原駅からまた列車に乗って、3つ先の角川駅に到着しました。
岐阜県飛騨市河合町小無雁に位置する角川(つのがわ)駅は、1934(昭和9)年10月25日に高山本線の駅として開業しています。
山間の角川駅にも、赤い屋根に白い壁の小さな木造駅舎があります。
ファサードの様子です。
白く塗られた板張りの壁に、赤いポストがよく似合います。
入口脇に掲げられた駅名板です。
杉原駅と同じように、四角い板に墨文字で重厚な感じです。
入口左側、切符売り場の窓口です。
美しい木材のカウンターを持つ窓口は、無人駅のためカーテンで閉ざされています。
入口右側、待合室の様子です。
こじんまりとした待合室には、温かい木製のベンチが置かれています。ベンチの上の座布団に、地元の人々の心遣いを感じます。
ホーム側から見た駅舎の様子です。
ホームから一段低いところにある駅舎は、ホームの法面に植えられた植木の木陰で涼しげです。
植え込みの木陰には、池もあります。池の中には鯉も泳ぎます。
池を覆う緑のもみじは、秋には美しい姿を見せるのでしょうか。
入口の脇に貼られた建物財産標です。
昭和9年10月、開業当時の駅舎であることがわかります。
角川駅での待ち時間は3時間以上。少し駅の周りを散策してみることにします。
駅は少し高いところにあって、民家や田んぼを見下ろす形になります。駅前の狭い階段を下りて行くと、小道の脇にむしろが広げられて、何か干してあります。白の中に茶色が混じる、まるで碁石のようなお豆が重なることなく丁寧に広げられていました。
民家や田んぼの先に流れる川は先ほどの宮川でしょうか。濃い緑に包まれた中に赤い橋が美しく溶け込んでいます。
とりあえず赤い橋まで行ってみることにします。
橋を歩いていると、向こう側に小さな島が見えてきました。木に囲まれた小さな島には鳥居があります。この川の守り神なのでしょうか。
駅の前には商店が1軒。「玉屋食堂」の看板も見えるので、ここで食事ができるかもと期待したのですが、食堂は閉鎖されているようでした。
しかし、商店は開店しているようでしたのでちょっと覗いてみることに。
駅前の商店で瓶牛乳を1本購入。瓶には「白の命」と書かれていました。
めったにお目にかからない瓶牛乳ですから窓口のカウンターの上に置いて記念撮影。懐かしい牛乳瓶と大理石の窓口の台を乗せた木のカウンターがミスマッチでありながらいい感じです。
牛乳瓶はお店に返却ですが、ふたは捨てるだけなので、持ち帰り。
「岐阜県飛騨市古川町」の「牧成舎」と記されています。
高山方面側から見たホームの様子です。
もともとは対向式2面2線のホームを持ち、委託ながらも駅員さんのいる角川駅でした。しかし、2004年10月の台風23号で猪谷〜角川間で壊滅的なダメージを受け運休、翌2005年10月に復旧したとき反対側のホームを閉鎖し、線路も剥がされ棒線駅になり、同時に無人駅になりました。
ホームを繋ぐ跨線橋はあるものの入口は閉ざされ、反対側のホームに渡ることはできません。反対側のホームには駅舎と同じ赤い屋根に白い板壁の待合室もあったようですが、解体されたようです。
角川駅での〜んびりと3時間以上を過ごし、本日の予定は終了。6個先の宿泊地、高山駅に到着しました。
さすがに飛騨の小京都と呼ばれる一等の観光地だけに駅構内は広々としています。
駅舎側の単式ホームにタイル張りの洗面台を見つけ、早速パチリ。
観光旅行に訪れた人々が列車から降り立ち、ほっと一息ついて鏡に向かう姿が思い浮かびます。おそらく今ではほとんど使用されることもない設備なのでしょうが、昔の人々の息遣いが聞こえてくるようなこんな設備は大切にして欲しいなと思います。
ホームから見た改札口です。木製の改札ラッチが人々をやさしく迎えます。
夕暮れに暮れなずむ駅舎です。
岐阜県高山市昭和町に位置する高山(たかやま)駅は、1934(昭和9)年10月25日に開業しています。
観光地としてたくさんの人々を迎えるコンクリート2階建ての駅舎は開業当時のものです。
高山駅に到着したのは午後4時過ぎ。予約してあるホテルにチェックインを済ませ、夕方の高山駅周辺を少し歩きます。
駅のほぼ正面、高山ラーメンの看板を上げるこの店「伝真」で腹ごしらえをすることにしました。
注文したのは「高山ラーメン」。トマト味のラーメンがこのお店の売りらしいのですが、まずはごく普通のラーメンから。
出てきたのは中華そばというのがぴったりくるシンプルなしょうゆラーメン。縮れた細麺とさっぱりしたしょうゆ味がこれまたグッドなお味でした。
お土産やさんもあちこち眺めて家族や友人へのお土産も調達。
飛騨といえば有名なのがこの「さるぼぼ」です。「ぼぼ」とは飛騨の方言で「あかちゃん」をあらわします。つまりさるぼぼとは、「猿のあかちゃん」という意味。
「災いが去る(猿)」、「家内円(猿)満になる」などとされ、古くから魔よけのお守りとしてとして使われているのがさるぼぼです。
雨模様から出発した高山本線の旅、途中から焼かれるほどの快晴となり、旅の3分の1を終了しました。ホテルに帰ってゆっくりと温泉に浸かり、明日の旅に備えます。
2009年8月5日(水)