《高山本線・3日目・その2》
  
温泉街の駅、下呂駅で1時間46分のときを過ごし、また列車に乗ってお隣の焼石駅に到着しました。
岐阜県下呂市焼石に位置する焼石(やけいし)駅は、1929(昭和44)年1月4日に開業しています。
山間の小さな駅にも、少し背の高い木造駅舎があります。
ファサードの様子です。
小さな鬼がわらを乗せた三角の屋根の妻部分に駅名板、シンプルながら端正なファサードです。
ファサードの屋根の下に掲げられた駅名板です。
1枚ものの木の板に、立体的な文字。茶色の地に淡い水色。上呂駅の駅名板に似てるでしょうか。
駅舎を斜め右側から見た様子です。
アイボリーに塗られた板張りの壁は、地面から天井までつながりがあってとても美しいものです。
入口右側、待合室の様子です。
縦羽目板張りの腰壁に、木製のベンチが設えられています。天井が高いせいでしょうか、こじんまりとしている割にゆったりとした感じを受けます。
ホーム側から見た改札付近の様子です。
庇の板張りの先っぽのぎざぎざがリズミカルです。
ホーム側から駅舎を斜めに見てみます。
妻部分の縦羽目板張りは、こちらから見ても美しいものです。壁の上から下までと庇の妻部分まで、連続性があります。灰色の屋根瓦はちょっと暗めですが、妻部分の窓上の赤い庇がよいアクセントになっています。
入口の脇に貼られた建物財産標です。
昭和4年12月、開業当時からの駅舎であることがわかります。
岐阜方面側にある跨線橋から見たホームの様子です。
対向式2面2線のホームをもちます。雨に洗われた緑の山々には、白い霞がかかります。
無人駅の待合室で次の列車を待っていると、職員の方がこられました。待合室を掃き清める手を止めて、しばしお話。
そろそろ列車が来るころと、跨線橋を渡って反対側のホームへ。ホームの待合室で腰をかけて待っているいると、ご婦人が来られ、また会話。「鹿が線路に入って列車が止まっちゃうこともあるのよ」とか。
下呂駅を出るころには横殴りの雨が降っていて、どうしようかなと迷った駅。待合室が閉鎖されていなければ降りようと決心して下車したものの、雨脚は弱まらずドキドキでした。しかしやがて雨は上がり、晴れ間も見えてきました。地元の人々とも楽しくお話できたし、下車の決断は正解でした。
焼石駅での1時間31分を地元の人々とのふれあいで楽しく過ごし、また列車に乗ってお隣の飛騨金山駅に到着しました。
岐阜県下呂市金山町御大船渡に位置する飛騨金山(ひだかなやま)駅は、1928(昭和3)年3月21日に開業しています。飛騨国と美濃国の境にある飛騨金山駅にも、大きくて立派な木造駅舎があります。
ファサードの様子です。
三角屋根とハーフティンバーの壁が美しいものです。
三角屋根のファサードの妻部分に掲げられた駅名板です。
木目をそのまま生かした1枚ものの板に草書体の文字。板の上に貼りつけた文字はところどころが欠けていて年季が入っています。屋根の下、入口の上にもJR東海のロゴ入りの立派な駅名板が掲げられているのですが、味わいという面ではこちらのほうが断然上です。
駅舎を右斜め(岐阜方面側)から見た様子です。
赤いトタン屋根、曲がり家、ファサード、回廊、ハーフティンバーの屋根妻部分。どれも美しく均整のとれた建物です。
入口右側、待合室の様子です。
茶色の梁に白い壁、整然と並んだ木製のベンチ。業務委託の駅の待合室はきれいに整っています。
入口脇に貼られた建物財産標です。
昭和3年3月、開業当時の建物です。
駅の敷地の境目には、こんな標識も立ってました。
ホーム側から見た改札付近の様子です。
ステンレス製の改札ラッチとステンレス製のごみ箱、そして木製のベンチ。モノトーンの中に、使用済み切符入れのエメラルドグリーンが効いています。
ホーム側の改札口上部には、こんな駅名標が設置されています。木のフレームの額に書かれた駅名は、ファサードに掲げられた駅名板と同じ書体でしょうか。
駅舎の反対側、島式ホームの待合室です。
白い下見板張りの壁を、斜めに支える柱がちょっと良い感じです。
高山方面側から見たホームの様子です。
単式島式2面3線のホームと、保線用の側線を持ちます。ホームとホームは跨線橋で結ばれています。
ワイドビューひだの一部が停車するだけあって、ホームは立派です。かつては下呂駅とともに駅弁の販売があり、栗こわいなど人気のお弁当もあったようですが、特急北アルプス号廃止に伴い、惜しまれつつ販売を終了したそうです。
雨が降ったりやんだりの飛騨金山駅で2時間14分を過ごし、また列車に乗って御隣の下油井駅に到着しました。
岐阜県加茂郡白川町白川に位置する下油井(しもゆい)駅は、1928(昭和3)年3月21日に開業しています。
山間のこの駅にも、小さな木造駅舎があります。
ファサードの様子です。
三角屋根のシンプルなファサードです。
駅舎を右斜め(高山方面側)から見た様子です。
白く塗られた下見板張りが美しい小さな駅舎です。
ファサードの屋根の下、入口の上に掲げられた駅名板です。
1枚ものの木の板にJR東海のロゴマークを配した駅名板は、飛騨小坂駅や飛騨萩原駅などと同じ形です。
入口の上部に貼られた建物財産標です。
昭和3年12月、開業よりも少し後の建物のようです。
入口右側、待合室の様子です。
窓の下には木製のベンチが設えられています。待合室は人影もなく、静かでした。
降ったりやんだりの雨の合間を縫って、駅舎から出たり入ったりしながら撮影をし、待合室のベンチに腰をかけると、駅事務所にあたるところから男性が一人出てきました。
列車の本数も少ない駅の待合室でポツンとしているので心配になったのでしょう、「バスに乗るの?」と尋ねられ、「いえ、次の列車を待っています」と答えると、不思議そうな顔をされるので、駅舎が好きで駅舎めぐりの旅をしていることなどをお話しました。するとやっぱり不思議そうに「へぇ、この駅をわざわざ?」とつぶやいておられました。
この駅は現在無人駅で、駅事務所には農協さんが入居されているようで、切符の販売なども職員のこの方がされているようです。「中は涼しいから中に入って休んだら?」と言ってくださるのですが、待合室の雰囲気が好きな私は丁重にお断りしました。
というわけで、事務所の入口には「ちょきんぎょ」が貼ってあるわけです。
待合室で農協の職員の方とお話をしていると、雨はいつのまにか土砂降りに変わっていました。その日の夜行列車で帰らなくてはならない私は、列車が止まったらと不安になり、「高山線は大丈夫でしょうか」と尋ねると、「このくらいじゃたいしたことないから大丈夫だよ」と心強いお言葉をもらってホッと安心。確かにバケツをひっくり返したような土砂降りはまもなく止み、空は明るくなってきました。
ホーム間にかかった跨線橋から見た駅舎の姿です。
岐阜方面側から見たホームの様子です。
対向式2面2線のホームを持ちます。ホームとホームは跨線橋でつながれています。
いっしょにおはなしをさせていただいた農協の方にあいさつをし、やっと来た上り列車に乗りました。この時点で土砂降りはやんでいましたが、実はそのとき、富山側はもっとすごいことになっていて、富山〜猪谷間は不通になっていました。徐々に平野に近づきつつあったため、ことなきを得たという感じでした。
ひとりなら不安に駆られたにちがいないこんな状況も、農協のおじさんがいてくれたおかげで、和らげることができました。
2009年8月7日(金)