《高山本線・1日目・その1》
  
高岡駅からの盲腸線、氷見線、城端線を堪能した後、高岡駅から北陸本線に乗って富山駅までやってきて、一夜を過ごしました。冬ならば氷見で水揚げされる寒ぶりがうまいのに、と思いつつ、簡単に夕食を済ませて翌朝の一番列車に備えます。
朝5時51分、本日の目的地、高山を目指して高山本線の一番列車に乗ろうと思います。
高山本線の一番列車、猪谷行きは3番線からの発車です。
跨線橋を渡って降りたホームにはこんな水飲み場がありました。飛騨の山へ向かう列車だけに、水飲み場は重要な設備なのかも知れません。
猪谷行きのキハが待つ向かい側、2番線では、つい先日乗ってきた寝台特急北陸号が待機中。
中の人たちはまだ夢の中だろうか、それとももうベッドから出て外の景色を楽しんでいるだろうか。そんなことに思い巡らせているうちに、ヘッドマークをつけた赤い電気機関車に牽引されて、青い列車は終点金沢駅へ向けて走り出しました。
さていよいよ富山駅からキハに乗って飛騨高山の旅へ。
まずは富山駅のすぐお隣、西富山駅で最初の下車。
富山県富山市寺町に位置する西富山(にしとやま)駅は、1927(昭和2)年9月1日、国有鉄道飛越線の駅として開業しています。こじんまりとした駅舎は開業当時の木造駅舎で、レンガ色とベージュのツートンカラーに塗られています。
ファサードの様子です。
入口の上にJR西日本のコーポレートカラーのブルーの文字の駅名板を掲げた、シンプルな形です。
駅舎内のベンチに座って次の列車を待っていると、駅前の広場にいつのまにか子どもたちが集まってきて、ラジオ体操が始まりました。
♪新しい朝が来た、希望の朝だ♪・・・懐かしいなぁとしばし見入ってしましました。
アクリル板に水色の文字の駅名板の横に貼られた建物財産標です。駅本屋は昭和2年9月建立、間違いなく開業当時の建物です。
無人の改札口からホームに出てみます。対向式のホームから見た駅舎は正面と同じようにベージュとレンガ色のツートンカラーに塗られています。
次の列車が来るまで散策でもしようかと無人のホームをぶらぶらしていると、やがてカメラを手にした男性が一人。何だろうなと思ってみていると、猪谷方面からこんな列車がやってきました。
国鉄色に塗り戻したキハ58系です。国鉄色のリバイバル車は、キハ58の終焉の予告でしょうか。
ベージュにオレンジ色のライン、どこにでもあったこんな色が、何と懐かしく、暖かく感じられることか。
この出会いを狙ってここにいるわけではない私には、大きなサプライズでした。
富山方面側から見たホームの様子です。
対向式2面2線のホームを持ちます。対向式のホームを繋ぐのは猪谷方面側にある構内踏み切りです。
富山行きのホームには、暖かなオレンジ色の灯をともした国鉄色のキハが停まります。
西富山駅で34分を過ごし、富山駅で折り返してきた国鉄色のキハに乗って、次の次、速星駅にやってきました。
富山県富山市婦中町速星に位置する速星(はやほし)駅は、1927(昭和2)年9月1日、国有鉄道飛越線の駅として開業しています。
駅前広場の中央にある植え込みの向こう側、曲がり屋のある大きくて立派な駅舎は、西富山駅と同じベージュとレンガ色のツートンカラーに塗られています。
ファサードの様子です。
平な庇を載せたシンプルな形ですが、入口の両脇の洋風のライトがおしゃれな感じです。
ファサードの入口の上に掲げられた駅名板です。
木目も美しい一枚ものの板に墨で書かれた感じの立派な駅名板です。「速星」というなんとなくロマンチックな駅名と凛とした楷書体とのミスマッチもまたひとつの味かなと思います。
ファサードの入口の脇に貼られた建物財産標です。
ロマンチックな駅名の速星駅の駅舎も、開業当時の駅舎です。
駅舎正面右側(富山駅方面側)に、蒸気機関車の動輪があります。
台座にはめ込まれたプレートには「39679」と書かれています。高山本線全通50周年の記念碑のようです。
駅員さんのいる改札を通ってホームに出ます。
向かいの島式のホームから見た駅舎は黒い瓦の切妻屋根に鮮やかな緑色のトタンの庇を持つ美しい姿です。
猪谷方面側がらみたホームの様子です。
島式・単式2面3線のホームを持ちます。単式、島式ホームを繋ぐのはがっちりとした跨線橋です。駅舎側から1番線、2番線、3番線。でも、3番線は旅客用にはほとんど使用されません。3番線の向こう側に多くの側線があり、貨物専用線になっています。
朝のラッシュアワーも始まって、比較的乗降客の多い速星駅で約50分を過ごし、お隣の千里駅にやってきました。
富山県富山市婦中町千里に位置する千里(ちさと)駅は、1927(昭和2)年9月1日、国有鉄道飛越線の駅として開業しています。
千里駅にもちょっと小振りな木造駅舎があります。
駅舎を左斜めから見てみます。
これまでの駅、西富山駅、速星駅と同じように、下見板張りの壁はベージュとレンガ色のツートンカラーです。切妻屋根の建物はコンパクトですがとてもきれいです。
ファサードの様子です。
平な庇、入口の上の駅名板、とてもシンプルですが、すっきりと美しくまとまっています。
入口の上に掲げられた駅名標です。
木目も美しい一枚板に墨書き、ゆったりとしたどっしり感があります。
駅舎の入口脇に貼られた建物財産標です。
昭和2年9月建立、開業当時の木造駅舎は本屋ではなく、待合所のようです。
駅舎の反対側のホームにある待合室にはさりげなくこんな機械が置いてあります。小さな耕運機のようなこの機械は、今は休業中の除雪車でしょうか。ここにも雪国ならではの設備があります。
富山方面側から見たホームの様子です。
対向式2面2線のホームを持ちます。対向式ホームはがっちりとした跨線橋で繋がれています。
無人駅の千里駅ですが、駅舎の内外はこざっぱりとしていてとても気持ちの良い駅です。
千里駅では僅かに15分を過ごし、お隣の越中八尾駅にやってきました。
富山県富山市八尾町福島に位置する越中八尾(えっちゅうやつお)駅は、1927(昭和2)年9月1日、国有鉄道飛越線の駅として開業しています。
寄棟屋根の木造駅舎は大きく立派なものです。下見板張りの壁はこれまでの駅と同じようにベージュとレンガ色のツートンカラーです。
越中八尾駅に到着したのは7時52分、朝の通勤時間にぶつかったためか、駅前広場にはひっきりなしに大型バスが出入りしています。行き交うバスの合間を縫って駅舎正面の全景を撮影できたのは上の写真1枚のみ。やむなく左斜めからの撮影になりましたが、それはそれで美しい姿です。
ファサードの入口の上に掲げられた駅名板です。
一枚板に流れるような草書体の墨文字が、伝統ある越中八尾の駅に更なる風格を与えているかのようです。
入口右側の待合室です。広々としたスペースはきれいに整えられています。プラスチックのベンチと共に、壁周りには木製のベンチも設えられ、温かみを出しています。コーナーの棚にはきれいなお花も生けられています。
高い天井からはモダンなシャンデリアが下がります。重いシャンデリアを支える天井の意匠も美しいものです。
富山方面側から見たホームの様子です。
単式・島式2面3線のホームを持ちます。特急「ワイドビューひだ」の停車駅だけあって、ホームの設備も立派です。
毎年9月1日〜3日に行われる「おわら風の盆」は全国的にも有名で、その開催に合わせて金沢、大阪よりの臨時特急「おわら」が運行されています。
そういえばファサードで地元の方がうちわを配っていました。いつもの習慣でとっさに断ってしまったのですが、記念に一枚もらっておけばよかったと後悔しきりです。
ラッシュアワーで込み合った越中八尾駅で40分を過ごし、列車に乗り込み四つ先の終点、猪谷駅にやってきました。
富山県富山市猪谷に位置する猪谷(いのたに)駅は、1931(昭和6)年8月25日、国有鉄道飛越線の駅として開業しています。
切妻屋根の立派なこの駅舎も、ベージュとレンガ色のツートンカラーの下見板張りの壁を持ちます。
ファサードの様子です。
三角屋根のファサードは、美しい石積みの柱の土台と、堂々とした駅名板を持ちます。
ファサードの横には「kiosk」の看板がかかりますが、今は閉鎖されているようです。
ファサードにかかる駅名板です。
黒板に白墨で書かれたような木製の駅名板は、太い楷書体の文字が力強く、美しいものです。
入口右側の待合室の様子です。
列車が到着したばかりということもあって、室内は無人でとても静かです。壁にぐるりと張り付いた木のベンチの脇の小さな本箱には、本が並べられています。
入口の脇に貼ってあった建物財産標です。
昭和5年11月の建立は、開業よりも若干前でしょうか。
ホームから見た駅舎の様子です。
駅舎とホームの間には多くの線路が敷かれていて、長い構内踏み切りを渡ってやっと改札に到達します。
ホームは駅舎と平行していて相当に長く、その中央部分、ちょうど踏み切りのあたりが片側だけスロープになっています。
猪谷駅からはかつて第三セクターの神岡鉄道(旧国鉄神岡線)が分岐していて、ホームの一部を切欠きホームとして使用していたのですが、2006年に廃止されています。
2009年8月5日(水)