《嘉例川駅編》
  
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大隅横川駅から約20分、キハは三つ先の駅、嘉例川駅に到着しました。ここにもまた、美しい木造駅舎が残ります。
列車からホームに降りてすぐのところに立つ駅名標です。大隅横川駅と同じ、鳥居型の駅名標です。
列車から降りて、少し来た方向に戻ると、木造の駅舎があります。
灰色の瓦屋根の広い付け庇の下には縦羽目板張りの腰壁と木枠の窓があり、茶色がかったハーフティンバーの壁には国鉄時代の駅名標が掲げられています。九州地方では一般的な、外壁に作りつけの木のベンチも健在のようです。
鹿児島県霧島市に位置する嘉例川(かれいがわ)駅は、1903(明治36)年に鉄道省により開業しています。開業当時の駅舎が残り、2006(平成18)年には国の登録有形文化財に登録されています。
駅舎正面やや右斜めから見てみましょう。縦羽目板張りの腰壁、ハーフティンバーの壁、下見板張りの壁、これらは大隅横川駅と同じ造りです。付け庇から屋根までの長さがあり、背の高い造りも大隅横川駅と同じですが、全体的に若干コンパクトな感じがします。
駅前はそこそこ広く、駅舎に向かって右側は公園のようになっています。
駅舎正面のファサードを見てみましょう。広い付け庇の下に開かれた木枠の入口から、改札の木製ラッチとホームの緑が見えます。
大隅横川駅と比べると、入口の幅は若干狭く、ファサードには窓がない分、少し圧迫感があるかなと思います。また、庇の上に掲げられた駅名板も、現代的なゴシック体で書かれていて、取ってつけた感がなくもありませんでした。しかし、このあと、駅事務所に無造作に置かれていた古い駅名標を見て、開業当時からこの駅はこの形だったのかもしれないなと思い直しました。
ここも入口の木の枠の部分に、建物財産標が貼ってあります。大隅横川駅と同じく、駅舎本屋は明治36年1月にできたものだということです。
もう一度駅舎の中を抜けて改札を入ってみます。
木製のラッチ、板張りの壁、壁に作りつけられたベンチ、そして木枠の窓、どれも開業当時の形をそのまま残しています。
窓には「嘉例川駅は104歳になった」という旨の手書きのポスターが貼ってあります。
木製のベンチや木製のラッチは、100年もの歴史の中で、こすれ、剥げ、角が削れたりして痛みもあるようですが、逆にに丸みが出て暖かなぬくもりになっているように思います。
駅舎の中を見てみましょう。
先ほどの大隈横川駅と同じように、壁際に作りつけられたベンチから窓口を見ています。同じように切符売り場の窓口があり、小荷物扱いのカウンターがあるのですが、大隅横川駅のように清々とした広さはなく、窮屈な感じがします。
木枠の窓口から執務室の中を覗いてみると、すばらしい宝物がおいてあるのが見えました。タブレット閉塞の時代に活躍した、閉塞器です。列車が運ぶタブレットと、この閉塞器が一体になって、腕木式信号機を操り、ポイントを操り、人々の手によって鉄路の安全は守られていました。窓越しの日の光を浴びて輝くこの赤い機械が、神々しく見えました。
残念ながら執務室への扉はどこも閉ざされていて、閉塞機を近くで観察することはできず、無造作に置かれた鉄板の駅名標と共に、窓越しからの遠目の見学となりました。
駅舎から改札を通って、もう一度ホームを眺めてみます。
現在使用されているのは駅舎がある単式ホームの1面1線のみですが、実は単式ホームの向かい側には島式のホームがあるのです。駅舎のあるホームから見ていると目の前に草むらがあるとしか見えないのですが、少し離れて見るとこのように草に覆われた島式のホームが姿を現すのです。
線路も剥がされ、ただ草ぼうぼうのホームが延々と続く姿は、ちょっぴり寂しいものです。
しばらくすると、吉松方面から黒い列車がやってきました。特急列車「はやとの風」です。2004年開業の九州新幹線の経済的な波及効果を高めるために運転を開始した特別急行列車で、鹿児島本線の鹿児島中央駅と肥薩線の吉松駅を結んでいます。
この列車がマスコミに取り上げられたことでここ嘉例川駅の知名度も上がり、多くの観光客が訪れるようになったようです。
先ほど見てきた大隅横川駅にもはやとの風は停車するのですが、大隅横川駅と比べてもこの嘉例川駅の方が知名度が高いようで、観光客が多い分、待合室の雰囲気なども落ち着かないものがあるのかも知れません。
しかし、黒く塗られたこのはやとの風、レトロチックでりりしい感じがします。残念ながら18きっぱーの私は乗車できないのですが。
はやとの風を見送った後、隼人方面からやってきたキハに乗りました。嘉例川からはそのまま隼人には向かわず、吉松駅に戻ることにしていました。
約40分ほど列車に乗って、吉松駅に到着です。吉松駅でははやとの風、いさぶろう・しんべい号の新設に伴い、長いこと休業していた駅の売店が復活し、同時に駅弁の立売も復活しているそうです。
平日は休業なのか、シャッターの下りた売店の前には、立売用の木箱が無造作に置かれています。
鹿児島県姶良郡湧水町に位置する吉松(よしまつ)駅は、1903(明治36)年に開業しており、現在のコンクリート製の駅舎は、1968(昭和43)年に落成した2代目です。
くっきりとしたオレンジ色の屋根とオレンジ色に縁取られたゴシック体の駅名板、その現代的な姿とは逆の入口横の市松模様のタイルに掲げられた木の板に墨で書かれた駅名板とよしずのような日よけの和風な感じのバランスがおもしろいなと思います。
難航を極めた人吉〜吉松の敷設工事が完了したのが吉松駅開業から6年後。人吉・吉松間の開通を持って、鹿児島は福岡や、果ては大阪、東京まで、1本の線路で繋がったことになります。
吉松駅の駅前には、動輪のモニュメントなどと共に、記念碑があります。動輪の左側、一番小さいのが「肥薩鐵道開通記念碑」です。
よしずのような入口から駅舎に入ると、右側に待合室があります。待合室の中はこんな風に一段高くなった畳の空間があって、その真ん中には昭和30年代に使われたような丸いちゃぶ台が置いてあります。思いがけずのノスタルジーなもてなしに、体中を流れる汗も引き、ほっとした気分になったのでした。
2007年8月9日(木)