《大隈横川駅編》
  
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肥薩線を巡る旅も三日目になりました。昨日と同じ人吉駅から出発です。
人吉駅の駅前広場にあるからくり時計の最初の演奏は朝の7時。一番列車に乗るために駅に向かうと、ちょうどお城の扉が開き、からくり人形が踊り始めるところでした。
3階建てのお城は、すべての階にからくり人形がいます。一番下はりりしいお侍さんの姿ですが、二階は球磨焼酎を飲むユーモラスな町人の姿、またこちらからは見えませんが、三階にはお殿様がいて、お上から下界を眺めています。
時間にすると5分くらいでしょうか、結構長い間楽しませてもらいました。
昨日と同じ7時20分発の一番列車に乗って、今日の最初の目的地をめざします。
一番列車は約1時間後に終点の吉松駅に到着し、そこから隼人行きの列車に乗り換えます。吉松駅から約20分、白いボディーに青いラインのキハは、今日最初の訪問駅に到着しました。
列車から降り立ったホームには、駅名標が立っています。スチール製の新しいものですが、昔ながらの鳥居型です。
島式ホームに到着した列車を見送り向かい側のホームを見ると、そこには木造の建物があります。
縦羽目板張りの腰壁と漆喰の壁に、灰色の瓦屋根を乗せた堂々たる姿のこの建物は、大隅横川駅です。
改札の上に掲げられた駅名標も、国鉄時代を思わせるようで、どことなく懐かしさを感じます。
鹿児島県霧島市に位置する大隅横川(おおすみよこがわ)駅は、1903(明治35)年に横川駅として開業し、1920(大正9)年に大隅横川駅と改称しています。
駅舎は開業当時のもので、鹿児島県内では最古のものです。100年以上の歴史を刻む木造駅舎は、国の登録有形文化財に登録されています。
駅舎を正面から見てみましょう。駅前は広く、何もないですが掃除が行き届いていてとても清潔な感じがします。
縦羽目板張りの腰壁と白いハーフティンバー、木枠の窓と木枠の入口、おおきな付け庇と屋根の間の下見板張りの壁、どこをとっても美しい木造駅舎です。
渋い木造の建物に、赤い丸ポストがぴったりと合っています。
駅舎を右斜めから見てみましょう。
屋根妻部分の下見板張り、木枠の窓、白い漆喰の壁、こちらも美しい姿です。
正面入口の部分です。
木枠の入口の向こう側には、出札口が見えます。真ん中のラッチは金属製のようですが、両端は木製のラッチが残っています。
広く開け放たれた改札口から、ホームの向こうの緑が見えています。
庇の上には白地に黒の楷書で書かれたシンプルな駅名板が掲げられています。
駅舎正面からは逆光になるため、写真は暗いものですが、カメラに反射した光が、古い駅舎と楽しく遊んでいるように見えます。
入口の木枠の部分に、建物財産標を見つけました。駅舎本屋は、明治36年1月にできたもの、だそうです。
鉄道施設のひとつひとつにこのように建物財産標がついているはずなのですが、改築を重ねるたびに無くなってしまったり、ただ単に見つからなかったりで、見ることの方が珍しいのですが、ここ、大隅横川駅にはこうして残っていました。これこそまさに駅の歴史そのものです。
入口から駅舎の中に入って、中の様子を見てみましょう。
入口を入ると左側に窓口、右側に待合のベンチがあります。待合のベンチ側から窓口を見ています。向かって左側(入口側)が切符売り場、右側(改札側)は手荷物扱い所です。切符売り場には切符を受け渡しする小窓があり、手荷物扱い所はカウンターが少し低くなっているのがわかります。
窓口の窓の木枠、カウンター、そして腰壁も、すべてはぬくもりのある木製です。
窓口の窓から中をのぞいてみると、室内にはデスクなどの調度品がみえます。
窓口の反対側の壁には、壁に張り付いた形の木製のベンチがぐるりと作りつけられています。
待合室は広く、天井も高いのでとてもゆったりとした空間になっています。
大隅横川駅に着いたのは8時45分。このときにはまだ駅には誰もいませんでした。しかし、駅舎のあちこちを撮影していると、まもなくに男性の方が見えました。どうやらこの駅の管理を委託されている方のようです。
さっき無人の窓口からのぞいた室内は、当時の駅執務室を再現した展示場になっているようで、管理の方が鍵を開け、中の様子を見せてくれました。
窓口に沿って執務用の机が置かれています。切符売り場の窓口には、執務室側もカウンターになっていて、使い勝手のよさそうな小引き出しが整然と並んでいます。カウンターの前に腰掛けて、丸窓をはさんでお客さんと忙しくやり取りをする、そんな姿が見えるようです。
窓口と窓口の間の壁に立てかけてある額は、明治期の九州鉄道図です。
手荷物扱い所の窓口側のカウンターには、小さく仕切られたこんな木枠の箱があります。小さな枠に中にきっちりと収まっているのは、かつてはどこにでもあった、硬券の切符です。
窓口でお客さんに言われた駅までの硬券を、目で追って探し出し、下のへこんだ部分を軽く押して取り出す、駅員さんの一連の動作が、ここでも見えるようなきがしました。
執務室の中の貴重な品々をじっくり見させてもらってから、外へ出ました。
ホーム側、改札横の柱にはこんな看板がかかっていました。第二次大戦中に機銃掃射でやられた跡だそうです。柱の中央に、大きな穴が開いています。
大隈横川駅では1時間31分の時を過ごし、次の列車に乗るためにホームに出ます。
島式対向式2面2線をもつホームの吉松方面側には、こんな装置が立っています。白い土台の上の螺旋状の太い針金は、自動閉塞になる前、タブレット交換をしていた頃に使われていたタブレット受器です。急行など駅を通過する場合、列車からタブレットを投げ入れ、同じくホームにあるタブレット授器からタブレットを受け取るのです。
100年超の激動の時代を生き抜いてきた木造駅舎は、木の持つぬくもりとともに、りんとした美しさを持っています。
2007年8月9日(木)