《大畑駅編》
  
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駅舎めぐりの旅三日目は、肥薩線の中ほど、通称「山線」を巡ります。
7時20分発の一番列車に乗るために、7時前に人吉駅に到着しました。
熊本県人吉市に位置する人吉駅は、1908(明治41)年、鹿児島本線として開業していますが、1927(昭和2)年、鹿児島本線海岸ルートが全通したことによって、肥薩線の所属駅となっています。
コンクリート製の現在の駅舎は1977(昭和52)年に完成した三代目の駅舎です。人吉温泉と球磨川の急流下り、そして球磨焼酎が名物です。
駅前の広場にある、小さなお城のようなこの建物は、からくり時計になっています。
一番列車は約15分後、お隣の大畑駅に到着しました。
前の扉から降りて前方にある駅舎と一緒に撮影しようかなと思い、歩いて行きました。何枚か写真を撮って、列車が出発するのを待っていました。しかし、列車はなかなか出発せず、そのうちテールランプが点灯し・・・
そこまできてはたと気付きました。そうだ、列車はそのまま前進してはこないのだ・・・。
ループ線の中にスイッチバックを併せ持った駅、それが肥薩線の大畑駅です。大畑駅のお隣、矢岳駅までの勾配が一番きつく、それを登りきるのにはこの設備が必要だったのです。
こっちに進んでくる、そう思い込んで待っている私を尻目に、列車は反対側に走ってゆきました。
列車が走り去ったホームには、大畑駅の駅名標が立っています。大畑駅のトレードマークは、近くにある「人吉梅園」のようです。
列車が走り去った後、改めてホームから駅舎を眺めてみます。
縦羽目板張りの腰壁と白い漆喰の壁、屋根の下の下見板張りと大きく張り出した付け庇、そしてそれを支える柱、すべてが美しい純然たる木造駅舎です。
熊本県人吉市に位置する大畑(おこば)駅は、1909(明治42)年に鹿児島本線の駅として開業しており、人吉駅同様に鹿児島本線の海岸ルート全通に伴って肥薩線所属となっています。
改札を出て、駅舎の正面にまわって見ます。駅前は狭い道を挟んですぐに崖になっていて、正面から全景を撮影するのは困難な状況です。
縦羽目板張りの腰壁とハーフティンバーの壁に囲まれた木製のドアの上には、九州地方で一般的な黒地に白文字の駅名板が掲げられています。
木製のドアに重なって、木製のラッチとホームの緑が見えています。
駅舎を出て、右側に折れ、そのまま直進すると、線路際にこんな建物があります。
円柱の石積みは、蒸気機関車のための給水塔の跡です。
この給水塔の先を列車が出て行った方向に歩けば、2004年の青春18きっぷのポスターの、N字型の線路を列車が走るスイッチバックのあの風景が見えるのかなと思い、しばらく歩いてみました。しかし、下の方に線路がある気配はするものの、なかなか目的のものは見えてこないので引き返すことにしました。後で聞いた話では、あの撮影ポイントまではかなりの距離があるということでした。
大畑駅は開業当時の蒸気機関車のために設けられた信号所と給水所としての役割が大きかった駅で、周辺に民家は少なく、大畑の集落に出るには徒歩で1時間近くかかるのだそうです。確かに朝もやのわずかに残る開業当時の鉄道施設は、静寂に包まれていました。
人吉から連続する勾配を登りきるのは、当時の蒸気機関車にとっては大変な重労働でした。たくさんの石炭とたくさんの水を消費してここまで登り、更に矢岳までの最難所を上りきるために機関車はこの駅で給水をし、機関士たちはホームにある湧き水で顔を洗ったといいます。これがホーム矢岳寄りに設置された顔洗場で、朝顔の形をしていることから「朝顔水」と呼ばれています。
少し前まで水がこんこんと湧き出ていたようですが、現在はこのとおり水は出ていません。
朝顔水のあるホームからもう一度改札付近に戻って駅舎をじっくり見てみます。
きれいに刈り込まれた植木の向こうに、木製のラッチが見えます。駅舎の腰壁の部分にある、壁に直接張り付いたベンチは、九州地方の駅舎の特徴のひとつです。ベンチの後ろの木枠の窓の上には駅名標が掲げられています。
窓の向こう側に見える待合室の壁の白いこまごました模様のように見えるのは、名刺やら使用済みの切符やらで、この駅を訪れた方々が記念に残していったものです。誰が始めたのかはわかりませんが、今ではこれも大畑駅の名物のひとつとなっています。
待合室側から改札の木製ラッチ越しにホームを見てみましょう。ラッチの向こう側に見える小さな階段は、島式ホームへの階段です。島式ホームと駅舎との間は、線路を横切る踏切になっています。
木製のラッチのやわらかさと、向こう側の緑とがとてもいい感じに重なり合っています。
朝顔水のこちら側から、ホーム全体を眺めてみます。
島式のホームはとても長く、かつて鹿児島本線として、九州の鉄道の要となっていたころを偲ばせます。濃い緑に囲まれた木造の駅舎と長いホームに、真っ青な夏空がぴったりとマッチしています。
一番列車に乗って大畑駅に到着し、あちこちの写真を撮りながら2時間47分を過ごしました。
途中どこからか男性が一人見えて、やはり同じように撮影をされていました。
しばらくすると、パトカーが一台やってきて、おまわりさんが降りてきました。朝から人影少ない駅でうろうろする私たちを見て不審に思ったのか、突然の職務質問が始まりました。鉄道ファンには魅力的なこの駅も地元の方にとってはただの駅、はるばる東京からやってくるわけがわからないといった感じでした。
そんな珍事件をきっかけに、男性とお話をさせてもらいました。彼は同じ鉄道ファンでも乗りつぶしと写真撮影がメインだそうで、その日は人吉からタクシーに乗ってスイッチバックの景色を撮影し、一旦人吉に戻ってから再び隼人を目指す予定だそうです。次の列車が来るまでのひと時を、鉄道写真のノウハウや鉄道にまつわるお話などしながらご一緒させていただきました。
お隣の矢岳駅を目指す列車は、観光列車のいさぶろう号でした。列車に乗り込むと、人吉から戻ってきた彼が乗っていました。
観光列車のいさぶろう号は、沿線の景色を堪能できるように、要所要所をゆっくりと走ってくれます。
これは列車の車窓から見たスイッチバックの線路で、ループ線の途中からの撮影です。他にも、スイッチバックして戻ってきたときに見える大畑駅の様子とか、鉄道建設時に事故で犠牲になった方々のための慰霊碑や動輪のモニュメントなど、魅力的な被写体は多々あったのですが、残念ながらうまく捕らえることができませんでした。
ループ線を回り、一山超えると、窮屈な山間に整然と並ぶ棚田が見えてきます。
狭い土地の有効利用、人々の英知と努力の結晶が、緑色にきらきらと輝いていました。
大畑駅から28分、そろそろお隣の矢岳駅に到着です。
開業から100年近く、ときに繁栄、ときに静寂の道を歩んできた大畑駅です。静寂の中に佇む木造駅舎は、機関車、列車、乗客、作業員・・・それぞれの100年間を、静かに見守ってきました。木のぬくもりを感じる開業当時の駅舎の中から、それらの音が、声が、遠くから聞こえてきそうな気がしました。
2007年8月8日(水)