《矢岳駅編》
  
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大畑駅を出たいさぶろう号は、10時49分、お隣の矢岳駅に到着しました。
特別観光列車のいさぶろう号は、ここ矢岳駅でもゆっくりと5分ほど停車します。観光を楽しむ乗客たちも降りてきて、駅や列車の撮影に走り回っていました。
いさぶろう号は特別観光列車のため、普通列車ですがほとんどが指定席です。私は一駅だけの利用のため、指定券を持っておらず、自由席への乗車となりました。いさぶろう号は、白地にブルーのラインの列車と同じキハ40系ですが、観光列車用にりりしく改造されています。外見はもちろん、内装も、レトロな高級車のイメージに改装され、普通列車でありながら優雅な旅気分を味わうことができます。
木造の矢岳駅と並んだ、りりしいいさぶろう号です。
ホームに立つ駅名標です。
真ん中に描かれたトレードマークは、キャンプ場のようです。近くに矢岳高原キャンプ場があるのだそうです。
ホームの吉松寄りには矢岳駅の標高を示す標識が立っています。
標高536.9米は、肥薩線の最高位です。この標高を超えるため、人々は並々ならぬ努力をしてきたのです。
標高の標識と並んで、水飲み場もあります。大畑駅の朝顔水とは違って、まだ新しく、水も飲めるようです。
ホームを更に吉松方面に行くと、その先に「人吉市SL展示館」と看板を掲げたこんな建物があります。展示されているのはD51 170号機です。かつて並んで展示されていた58654号機は、現役復帰して「SLあそBOY」などを牽引していたりしていましたが、2005年8月に引退してしまったそうです。
D51はよく手入れされて、黒光りしていました。
吉松寄りのSL展示場から戻り、駅舎をホーム側から見てみます。トタンの庇の下に見えるのは、黄色味がかったハーフティンバーの壁と木製の窓枠、縦羽目板張りの腰壁とそれに張り付いた木製のベンチ、そして木製の柱と木製のラッチです。
柱にかけられた木製の駅名標と、窓の上の壁に掲げられた駅名標もいい感じを出しています。
ホーム側から木製ラッチを見てみましょう。
ラッチの向こう側には広い土間の待合室が広がり、その先に木製の入口の扉が見えます。そして、扉のその先には緑の木。待合室の天井にかすかに見えるのは、シャンデリア型の照明のようです。
熊本県人吉市に位置する矢岳(やたけ)駅は、1909(明治42)年に鹿児島本線の駅として開業しており、大畑駅同様に鹿児島本線の海岸ルート全通に伴って肥薩線所属となっています。
改札を出て、駅舎正面に回ってみます。開業当時の駅舎はお隣の大畑駅よりも一回り大きく、がっしりした感じがします。
入口のドアの上に掲げられた駅名板は、黒地に白文字の、見慣れた形です。
矢岳駅も施設の敷地は広いのに駅舎正面のスペースは少なく、正面からの駅舎全景の撮影は難しいようです。
吉松方面側から駅舎を斜めに見てみましょう。
平屋ですが屋根は高く、背も大畑駅よりも高いでしょうか。屋根の妻と庇の上の下見板張りの壁はみごとです。庇の下には木枠の窓がはまり、木製のドアの周りは漆喰の壁、庇の柱ももちろん木製です。
駅舎に添うように濃い緑の木が植えられ、駅舎に色を添えています。
矢岳駅は小高い丘の上にあり、駅舎正面から下に石段が伸びています。
緑の木に囲まれたは石段のてっぺんに、木造の古い駅舎が建っています。駅舎までの石段はきれいに舗装されているのではなく、でこぼこしているのが駅舎の温かみに拍車をかけているようです。
石段をとんとんと降りると、そこには田んぼが広がっており、所々に民家が見えます。田んぼの広がる集落は、緑に覆われた山々に囲まれています。
矢岳駅での待ち時間は3時間5分。緑に埋まる周辺の田園を少し歩いてみようかなと思い、歩き始めました。
目的を持たずふらふらと田んぼの間を歩いていると、田んぼと畦道の境目に、またもレトロな消火栓を見つけました。ここにも古いものを大事に使う姿勢が見て取れます。
畦に咲く草花の周りには、アゲハチョウが舞っています。静寂に包まれた透明な風は、アゲハチョウにも心地よいものなのでしょう。
ここ矢岳町は、鉄道の開通と同時に集落が形成され、鉄道とともに発展していった町だそうです。今でこそ単式のホームしかありませんが、かつては対向式の2面2線をもつ立派なホームがあり、大正時代半ばには駅弁販売も行われていたそうです。しかし、鹿児島本線の海岸ルートが全通すると共に利用者が激減し、駅とともに発展した集落も過疎化の一途をたどっているのだそうです。
ここもまた、開発から取り残された町、そしてそれゆえに趣のある駅舎が残り、周辺の人々に愛されて、そこに暮らす人々を静かに見守ってゆくのでしょう。
2007年8月8日(水)