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すばらしい木造駅舎の魅力を満喫して、いよいよ九州の旅も最終日となりました。最終日の朝、JR日豊本線の国分駅近くに取ったホテルの窓からの景色です。今日もまた暑くなりそうな、夏空の朝でした。
九州旅行の最終日は、ここ、国分駅から日豊本線で鹿児島中央へ、鹿児島中央から鹿児島本線で川内へ、川内から肥薩おれんじ鉄道で八代へ、そして再び鹿児島本線で熊本へ、と天草灘をぐるっとまわって九州の旅の終着駅、熊本に向かう予定です。
鹿児島県霧島市に位置する国分(こくぶ)駅は、1929(昭和4)年に開業しています。霧島市の代表駅で霧島市役所(旧・国分市役所)なども近くにあります。
国分駅は霧島市誕生前の国分市時代の代表駅でもありましたが、日豊本線の中では比較的新しい駅です。国分駅開業前はお隣の隼人(はやと)駅が国分駅を名乗っていたようですが、新駅開業と共に町の代表駅も変化したようです。
左側に見える塔は東西自由通路で、2007年6月に完成したばかりだそうです。また、自由通路の建築に伴って、駅舎もリニューアルされたそうです。
国分駅から8時19分発の鹿児島中央行きの始発列車に乗ります。
白いボディーにブルーのラインの列車はボックスシート。うまい具合に海側の席を確保し、よしよしと思っていたのですが、後から乗ってきた女性に日よけのスクリーンを下ろされてしまい、ちょっと残念。なんでも竜ヶ水駅付近からは桜島も見えるということで楽しみにしていたのですが、考えてみればちょうど朝の通勤列車、そりゃ旅行者のわがままは聞き入れられないよなと思い直し、本を読みはじめました。
何気に顔を上げたとき目の端にブルーを捕らえ、スクリーンをほんの5センチそっと上げて下から覗いてみたのですが、やはり正面の女性はいやがるそぶりを見せたので、完全にあきらめることに。
ちょっと残念だけれど、仕方のないことです。
国分駅から約40分、列車は鹿児島中央駅に到着しました。ここで乗り換えのために一旦下車します。待ち時間は30分、そんなに長い時間ではないけれど、外に出てみることにします。
鹿児島県鹿児島市に位置する鹿児島中央(かごしまちゅうおう)駅は、1913(大正2)年に川内線武駅として開業し、1927(昭和2)年に鹿児島本線に編入され西鹿児島駅と改称、更に2004(平成16)年、九州新幹線開業に伴って鹿児島中央駅と改称され現在に至っています。
駅名のとおり、鹿児島県の県庁所在地、鹿児島市の中心駅で、駅舎も近代的で、斬新なデザインです。
赤い駅舎の右側に目をやると、屋上に観覧車が乗っていてちょっとびっくりします。
アミュプラザ鹿児島というこの建物は、駅ビルなのでしょうか。夜になると観覧車はライトアップされ、人々を楽しませてくれるそうです。
ちょっとびっくりの観覧車は、鹿児島のランドマークのようです。
九州新幹線も通る鹿児島市の代表駅の鹿児島中央駅の駅前は、商業施設も充実しており、またビジネスの中心でもあるのでしょう、とてもにぎやかです。
駅前には路面電車も走っています。
ちょうど朝の通勤時間のあわただしい雰囲気を感じ、また駅に戻ってきました。鹿児島中央駅からは9時27分発の鹿児島本線川内行きに乗ります。
ホームで待っているのは415系電車。かつてJR東日本の常磐線で活躍していたのと同じ列車は、朝夕のラッシュ時中心の運転です。
島式3面6線のホームの3番線から川内行きは発車します。
鹿児島中央駅から約50分、列車は終点川内駅に到着です。
門司港駅から鹿児島駅まで、それがかつての鹿児島本線でした。しかし、2004年の九州新幹線開通に伴って、海に面した八代−川内間を切り離しました。それが旧鹿児島本線の施設をそのまま利用する第三セクターの肥薩おれんじ鉄道です。海に面した風光明媚な路線ということで、観光路線としてもPRされています。
肥薩おれんじ鉄道のホームに立つ駅名標です。
川内−八代間は鹿児島本線の一部だった頃、青春18きっぷで乗り降り可能な区間でした。しかし、第三セクターに移行された現在、別料金を払わなくてはなりません。
そんなわけで島式ホームの端にある肥薩おれんじ鉄道の改札で、青春18きっぷを持ってる人のための割引切符「おれんじ18フリーきっぷ」を購入しました。
肥薩おれんじ鉄道を走る気動車もボックスシートです。今回も海側(進行方向左側)を確保し、車窓の風景を楽しもうと目論見ます。朝のラッシュアワーも過ぎた10時半過ぎ、お客さんもまばらで、今回は車窓の風景を堪能できました。
真っ青な海に真っ青な空、海の中にぽっかりと浮かぶ小山のような岩場と白い波を立てて走る小船。川内から三つ目、草道−薩摩高城間の海の風景です。
10時36分に川内駅を出発した小さな気動車は、海沿いをゆっくり走って約2時間半、終点の八代駅に到着しました。
熊本県八代市に位置する八代(やつしろ)駅は、1896(明治29)年に開業しています。
駅舎は赤い瓦屋根の木造駅舎です。駅舎の上にそびえる白い建物と煙突は駅舎の一部のように見えますが、駅裏にある日本製紙八代工場の施設です。
駅前は広く、きれいに整備されています。中央のモニュメントの上の乗っているのはザボンでしょうか。塔にはちょうど甲子園で行われている高校野球への出場校、八代東高校をたたえる垂れ幕がかかっています。
三日前、肥薩線の0キロポストを見つめた八代駅に、感慨深いものを感じるのでした。
八代駅で40分ほど過ごし、鹿児島本線に乗り込みます。予定では肥薩おれんじ鉄道でも一駅くらい降りつもりでしたが、ここでも気が変わり、八代まで直行のあと、八代−熊本間の駅舎をいくつか見てみることにしました。
急遽の予定変更のうちのひとつ、八代駅から五つ目、松橋駅です。
熊本県宇城市に位置する松橋(まつばせ)駅は、1895(明治28)年に開業しています。
駅舎を正面から見てみましょう。二階ほどの高さのある建物ですが、実際は平屋建てです。窓のない二階に相当する部分が倉庫のように見えます。
一見すると四角いビルのように見えますが、屋根には傾斜がついています。完全な片流れ屋根ではなく切妻屋根の前の方が切れているという感じ。
こんなに嵩のある建物なのに、壁は細い縦羽目板張りの木造駅舎。のっぺりとした風貌が、とても不思議な建物です。
ファサードの庇の上のくぼんだ部分に表示された駅名板です。駅舎全体のだだっ広さのわりに小さな文字と丹精な明朝体が、やっぱりちょっと不思議な感じです。
不思議な形の松橋駅を出て次の駅で下車します。基礎知識もなくなんとなく選んだ駅でしたが、そこには「おっ」と目を見張る、こんな駅舎があります。
熊本県宇土市に位置する宇土(うと)駅は、1895(明治28)年に開業しています。初代駅舎は太平洋戦時下の宇土空襲の折に消失しており、1947(昭和22)年に当時遊休施設化していた海軍航空隊格納庫施設の資材で再建されたのが現在の駅舎です。
駅舎を正面から見てみましょう。
ファサードの高い三角屋根の部分は飾り窓のみで入口はありません。三角屋根から両翼に伸びた屋根の下が入口になっています。
正面やや右側から見てみましょう。
四角い柱で支えられた高い庇に白地に黒文字でかかれた駅名板が掲げられています。この下、赤い自動販売機の陰と手前の柱の陰が入口です。
反対側、左側から見た様子です。
こちら側にも入口がありますが、右側のように最初のくぼみには入口はなく、奥の部分のみが入口になっています。
入口を入ると中は待合室です。縦に長いせいでしょうか、これだけの窓がある割には中は薄暗く、自然の光はあまり届いていないようでした。
待合室の中も窓の配置や天井の造りなど、随所に凝った造りが見られ、あちこちにカメラを向けたかったのですが、思った以上に待合の人が多く、撮影を自粛することに。ま、天井ならいいかな、と撮った写真がこれです。屋根の形に合わせたカーブと梁がなかなか趣があります。
松橋駅でも宇土駅でもそれぞれ約30分ほどの時を過ごし、熊本駅に向かいます。
ホーム側から見た姿も改札の上の明り取りの小窓がなかなか粋な感じです。
こんなふうに随所に粋を織り込んだ駅舎も、九州新幹線の開通を機に建てかえられてしまうのだそうです。肥薩おれんじ鉄道の車中でおぼろげな記憶の中から選んだ宇土駅、ラッキーだったなと思うと同時に、一抹の寂しさも覚えるのです。
宇土駅から二駅、約10分。九州の旅の終着駅、熊本駅に到着しました。
熊本駅での待ち時間は43分。一息つくには頃合の時間です。
終着駅の熊本駅で思いがけずの出会いがありました。実は熊本にはネット上で知り合ったお友達がいるのですが、この方がわざわざ見送りに来てくださったのです。
帰りの長い車中の準備も済んでホームへ向かおうとしたとき、その方から連絡が入りました・・・というよりはやっと気付きました。何度か携帯に連絡をしてくださっていたようなのですが、頻繁に携帯を確認する習慣のない私は気付きませんでした。しかし列車到着の20分前、何気に携帯を確認したのです。
出発まで後10分、改札の前でとうとうその方に会えました。その日既に予定が入っていらしたのに、なんとかやりくりをして駆けつけてくださったのです。
その方が改札で私にくださったもの、熊本名物のお菓子と自家製の梅干。丹精込めて漬け込まれた梅干は存在感があってとてもおいしいものでした。
2007年8月10日(金)