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のんびりと寛ぐ木曽福島の宿でしたが、夜半からまた雨が降り出しました。
2日目の予定は、昨日通り越した駅に逆戻りし、そこから中津川駅までのいくつかの駅を巡りつつ多治見まで行く予定でした。しかし、朝4時過ぎに目覚めたときの雨脚から、これでは駅舎巡りは楽しめないなと判断しました。前日は早めに床に就いたので、早朝の割には頭もクリア、そこで変更案を練り始めました。当初は朝一番の下り電車で藪原駅に戻る予定でした。時間が経てば経つほど天気は回復するだろう、そう踏んで、下り電車はとりやめ、それから30分の後の上り電車に乗ることにしました。しかも、荷物を持って雨の中を歩くのは大変だろうと思い、一旦中津川まで行き、ロッカーに荷物を預けて特急列車で戻ることを考えました。時間的には大いにロスだけれど、雨の中の散策よりは何歩かましだろうと考えたのです。
しかし、列車に乗ってしばらくすると雨脚も弱まり始めました。ここは一か八かやってみようと思い、中津川まで行くのはやめて、二つ目の倉本駅で降りることにしました。 |
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倉本駅を降りると、ホームは上の写真のようになっていました。駅舎は反対側のホーム側にあるのに、跨線橋はおろか、構内踏切もありません。これはどうやったら駅舎にたどりつくのだろうと悩み、たまたまそこで時間調整で停車していた乗ってきた列車の運転手さんに尋ねてみました。
運転手さんはホームをまっすぐ進むと階段があり、そこから一旦外へ出るとトンネルがあるからそこを渡ってください、と教えてくださいました。
地下道があるのかな、そう思いつつ行ってみましたが、階段の先は一般道。しばらく行って十字路を右に折れると、築堤の上の線路をくぐるようにトンネルがありました。トンネルをくぐり、比較的大きな道路に出ると駅舎が見えてきました。 |
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駅舎の前にはこんなふうに案内看板が掲げられていて、駅の仕組みがやっとわかりました。
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トンネルを出て大きな道にぶつかったら道路に沿ったなだらかな坂を上ると、やっと駅舎が姿を表します。
妻側が出入り口になっているこの倉本(くらもと)駅は、長野県木曽郡下松町大字荻原に位置し、1914(大正3)年5月1日、信号所として開設、その後1948(昭和23)年9月1日、駅に昇格、倉本駅として開業しています。
中央西線の中では比較的新しい駅のようですが、それでも昭和の時代のレトロな姿の駅舎です。 |
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駅舎は築堤の上にあり、駅前はとても狭く、正面からの駅舎全景の撮影は難しいようです。
築堤の下は道路(国道19号)で、比較的交通量も多く、大型トラックがばんばん走っていました。道路の向こうには線路、道路と並行して木曽川が流れています。
道路から築堤上の駅舎の全景をやっと撮影できました。 |
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駅舎妻側が主な出入り口のようですが正面にはれっきとしたファサードがあり、そこには駅名板が掲げられています。1枚板に書かれた駅名は経年劣化により薄れ、読み取りは不能でした。 |
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入口の脇に貼られた建物財産標です。
昭和23年8月、駅開業当時の駅舎であることがわかります。 |
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倉本駅では徐々に雨脚も弱まり、次の駅に向かう頃にはうっすらと日も差し始めました。
倉本駅で約1時間過ごし、また列車に乗ってお隣の須原駅に到着しました。
須原(すはら)駅は、長野県木曽郡大桑村大字須原に位置し、1909(明治42)年12月1日、西からの中央西線の延伸とともに開業しています。
須原宿の玄関駅のこの駅にも、歴史を感じる木造駅舎があります。 |
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ファサードに掲げられた駅名板です。
黒板様の黒い板に角丸の白文字で書かれたこの文字は、現代的な感じがします。 |
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駅舎正面、ファサードの横には丸ポストも置かれていて、レトロな雰囲気を醸し出しています。 |
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ファサードを塩尻方面側から斜めに見てみます。
縦羽目板張りの腰壁に白い壁が美しく、また赤い丸ポストと黒板型の駅名板がきれいなアクセントになっています。往年の宿場町の駅にふさわしく、駅舎本屋をぐるりと囲む回廊は立派なものです。 |
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駅周辺は須原宿として宿場町の姿を留めています。
町はきれいに整備されていますが、奈良井宿ほど観光化されておらず、宿場町の末裔である住民がひっそりと暮らす町の様子です。
この駅でも約1時間の時間があるので、駅前を少し散策してみました。 |
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宿場町の沿道には、通りのそこここにこのような水場があります。
須原は水が豊富な宿場町で、当時は街道沿いに多くの共同井戸があったそうで、その様子を再現したのが水舟と呼ばれる水場です。水舟は天然のさわらの丸太をくりぬいた舟のような形をしています。水舟の廻りにはコップも置かれていて、自由に飲むことができるようになっています。 |
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水舟の中にはマジックで名前の書かれたスイカが気持ちよさそうに浮かんでいました。冷たく冷えたスイカをおいしそうに食べる人々の姿が見えるようでした。 |
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江戸時代の宿場町の様子に思いを馳せながら、また列車に乗ってお隣の大桑駅に降り立ちました。
大桑(おおくわ)駅は、長野県木曽郡大桑村大字長野に位置し、1951(昭和26)年9月1日に新駅として開業しています。
比較的新しい大桑駅の駅舎は白い壁に水色のトタン屋根がとてもさわやかな感じです。
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ファサードに掲げられた駅名板です。
1枚板に筆で書かれた駅名板は小振りですが手書き風で味わいがあります。 |
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入口の脇に貼られた建物財産標です。
昭和26年8月、開業当時の駅舎であることがわかります。
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駅舎を塩尻方面側から見てみます。緑の木の枝の間に垣間見える白と水色の駅舎がさわやかさを増しています。開業15周年に建てられたと思われる記念碑には、住民の悲願の運動が新駅開業の形で実を結んだというようなことが記されていました。 |
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塩尻方面側には小さな水飲み場もありました。タイルが貼られていた胴体は痛んでコンクリートむき出しの状態ですが、傍らで客待ちをするタクシーの運転手さんたちは、この水場で手や顔を洗ったりされており、現役の水飲み場のようでした。
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駅舎の塩尻方面側、水飲み場の前にあるトイレの板塀には木の板に手書きの味わいのある案内板がかかっていました。 |
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トイレのホーム側の庇にはこんなにおしゃれな方丈が使われていました。駅の中ではあんまり目立ちたくない存在のこんなところにも美しい意匠、粋な計らいだなと思います。
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さわやかな駅舎の大桑駅では約2時間の待ち時間があります。これはもう周辺を歩くしかありません。生憎だった朝方の雨は幸いなことにここにきて完全に止み、ガスは多いものの時折青空も覗き始め、ちょうどころあいのお散歩日和となりました。
少し歩くと大桑村の目抜き通りに出ます。その中の一軒のお店屋さんに立ち寄り、牛乳とパンを買いました。時はちょうどお昼時、駅に戻り駅舎の待合室のベンチに腰掛けて軽い食事。ビン牛乳があればと思いましたが、残念ながら紙パックの小岩井牛乳。でもその代わりに、ご当地のみ有効の「おおくわスタンプ」が付いてきました。大桑村の花、しゃくなげをあしらったきれいなスタンプです。 |
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大桑駅で2時間、近くを散策したりベンチに座って本を読んだりしながら過ごした後、また列車に乗ってお隣の野尻駅へ。
野尻(のじり)駅は、長野県大桑村大字野尻に位置し、1909(明治42)年9月1日、官設鉄道の延伸と同時に開業しています。
野尻駅にも大桑駅と同様の白い壁に水色の屋根はさわやかで、でも後から開業した大桑駅よりは少し立派な駅舎があります。
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ファサードに掲げられた駅名板です。1枚板にJR東海のトレードマークと駅名を彫りこんだ形は、JR東海のローカル線によく見る形です。 |
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入口脇に貼られた建物財産標です。
明治41年10月、開業よりも1年近くも前の竣工ということになるでしょうか。大桑駅と似た雰囲気の駅舎は見た目よりもずっと古く、開業当時のもので、それゆえに古いものを大事に使い続ける思いが伝わります。
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野尻駅での待ち時間も約2時間、ここでも駅周辺を散策することに。
駅前から出る道路をまっすぐに進むと、古い家並みが見えてきます。右に折れて道なりに進んだ通りが野尻宿です。野尻宿は奈良井宿に次ぐ長さを誇り、外敵から守るための曲がりくねった道は「七曲がり」とよばれているそうです。
そんな街道の沿道に「どんぐり」と書かれた看板を発見しました。近寄ってみるとどうやら喫茶店の様子。ゆっくりお茶でもごちそうになろうかなと戸をあけてみました。「お茶飲めますか」と尋ねると「どうぞ」と返事が返ってきたのでさっそく中へ。席に座りメニューを見ると、目に着いたのは自家製の水まんじゅう。今とても飲みたいコーヒーにはあまりにもミスマッチだけれど、どうしても食べてみたくてお願いすることに。こしあん、抹茶、オレンジの3種類の小振りな水まんじゅうはつるりとのど越しもよく、素朴でおいしいものでした。 |
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どんぐりでおいしい水まんじゅうをいただき、駅に戻ります。
駅から来て右に折れた所には「庭田屋」という旅館があります。趣のあるたたずまいに何枚か写真を撮ったものの、通ったついでの感じの真剣みのない写真です。後で調べてみてわかったことですが、この旅館、昭和53年公開の「男はつらいよ」のワンシーンを飾っているとか。
もう少し真面目に撮影しておくべきだったと今更ながらに後悔しています。
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ひとしきり駅周りを散策した後、駅に戻ってきました。
駅前にはちょっとした庭園風の植え込みがあり、そこには凝った感じの水飲み場がありました。 |
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約2時間を過ごした野尻駅を出たときにはすでに午後4時を回っていました。少し疲れも出てきたけれど、この際だからと4駅先の坂下駅で下車しました。
坂下(さかした)駅は岐阜県との県境を越えてすぐの岐阜県中津川市坂下に位置し、1908(明治41)年8月1日、官設鉄道の延伸と同時に開業しています。
国鉄時代の名古屋鉄道管理局と長野鉄道管理局との境界駅たっだ頃の名残か、駅舎はそこそこ大きく立派です。
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ファサードに掲げられた駅名板です。
ファサードの屋根は後付けされたようで新しく、駅名板もJR東海のよくみるタイプの駅名板です。 |
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ファサード入口の脇に貼られた建物財産標です。
明治41年12月、新しく見える駅舎も開業当時のもののようです。
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ファサードを塩尻方面側から見てみます。
何度か改装されたであろう壁は白く、縦羽目板張りの腰壁も美しいものです。 |
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庇を支える柱の根元にはこのような石積みがあり、全体のアクセントになっています。
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駅舎前に置かれたベンチも、他の画一的なベンチとは一線を画したおしゃれな形になっています。
岐阜県の駅であるだけに、これまでの宿場町の駅とは雰囲気も異なり、駅前はにぎやかな感じです。 |
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坂下駅で約50分、そろそろ日も暮れかかった頃、また列車に乗り、途中中津川駅で乗り換えて、本日の宿泊地、多治見駅に到着しました。
雨模様から始まった夏旅2日目、終わってみればなんとなく夏空は広がり、朝方の倉本駅での下車は正解でした。しかし、夕食で立ち寄ったお寿司屋さんでは、多治見と同じ岐阜県の高山、各務原方面では大雨による被害が出ているとの会話が交わされており、驚きました。
観光化された奈良井宿のようなにぎやかさはないものの、人々の生活が息づく街並みにはまた違った趣もあり、よい旅だったと思います。
大雨による被害を受けた方々には一日も早い復興を願いつつ、日本一暑いといわれる多治見の夜は更けていったのでした。
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2011年8月23日(火)
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