多治見で一夜を過ごし、旅の最終日を迎えました。多治見駅から来た道を東に戻り、帰路につきます。
2日目の予定変更を受けて、最終日の調整をしました。暑い町、多治見の夜は前日の大雨の影響か以外と涼しく、ゆっくりと休むことができました。
夏旅最終日は、多治見駅から三つめ、釜戸駅からスタートです。
釜戸(かまど)駅は、岐阜県瑞浪市釜戸町東大島に位置し、1902(明治35)年12月21日、官設鉄道の駅として開業しています。
閑静な住宅街を思わせる釜戸駅にも、素朴な木造駅舎があります。
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ファサードに掲げられた駅名板は、JR東海のトレードマーク入りのよく見る形のものです。
正面入り口の脇に貼ってある建物財産標です。
明治35年、開業当時の駅舎であることがわかります。
駅舎を正面左側、名古屋方面側から見てみます。
正面の壁面などは新建材に変わっていますが、屋根妻部分などは塗装も剥げかかって木の味わいが出ています。広い回廊と駅舎脇の上屋は、貨物取扱があった頃の名残でしょうか。
駅舎内の待合室の作りつけの木のベンチは柔らかな朝日を浴びていました。
静かな朝は通勤時間にかかり、にぎやかになり始めた釜戸駅で30分ほど過ごし、三つ先の美濃坂本駅に降り立ちました。
美濃坂本(みのさかもと)駅は、岐阜県中津川市千旦林坂本に位置し、1917(大正6)年11月25日に新駅として開業しています。
閑静な住宅街を思わせるここ、美濃坂本駅にも、小振りな木造駅舎があります。
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ファサードに掲げられた駅名板は、アクリル板にトレードマークと駅名が書かれ、実用本位なものです。
ファサードの様子です。
ファサードに庇を支える柱の土台や腰壁など、さりげなく凝っています。時間は朝8時前、駅を利用する通勤客が増えてきました。
入口脇に貼られた建物財産標です。
大正6年12月、さほど古く見えないこの駅舎も、開業当時のものです。
駅舎内の待合室には、作りつけの木のベンチがあります。白いペンキは人が触れる部分が剥げかかっていますが、座面の高さや背もたれの角度など、とても座り心地のよいベンチでした。
幾人かの通勤客を見送りながら、2時間近く過ごし、また列車に乗ってお隣の中津川駅に降り立ちました。
中津川(なかつがわ)駅は、岐阜県中津川市太田町に位置し、1902(明治35)年12月21日、官設鉄道の駅として開業しています。かつては中央本線木曽谷区間の要衝としての中津川機関区があっただけあって、大きな駅にふさわしい鉄筋の駅舎があります。
中津川駅で運転系統が分離されているため、名古屋方面から塩尻方面に向かうにはここで乗り換えになります。
乗換のためだけの下車でしたが、待ち時間は約1時間、街中を探索し、喫茶店でモーニングを注文して時間つぶしをしました。駅前の商店街にいたふさふさのねこさんとしばし歓談。首輪をしたねこさんは人慣れしていて逃げませんが、視線の先に何か気になるものがあるらしく、話相手はしてくれませんでした。
前日巡った中津川から木曽福島間を約1時間かけて通過し、前日巡るはずだった宮ノ越駅に到着しました。
宮ノ越(みやのこし)駅は、長野県木曽郡木曽町日義宮ノ越に位置し、1919(明治43)年11月25日に開業しています。
ここ、宮ノ越駅にも、古くて立派な木造駅舎が残ります。
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ファサードの様子です。真壁造りの白い壁は、木の柱と梁、腰壁にしっかりと支えられています。
ファサードに掲げられた駅名板です。
丸太から切り出した一枚板に、味わいのある書体が刻まれています。
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入口脇に貼られた建物財産標です。明治43年9月、開業当時の駅舎です。
駅舎の脇には木造のトイレがあります。駅舎と同様、こげ茶色の木造です。
トイレの入口には、昨日大桑駅で見たのと同じような、でも全く同じではない、木製の案内表示がかかっています。
宮ノ越駅では約2時間の待ち時間。駅を中心に宮ノ越宿が広がるとの情報を得て、散策してみることにしました。
駅からしばらく行くと、宮ノ越宿本陣跡の道しるべがありました。
宮ノ越の宿場町は、観光地ではなく、住民の方々の生活の場のようでした。ひっそりと静まり返った通りには、宿場町を思わせる建物が点在し、歴史の息吹を感じました。
通りにある消火栓も、レトロな感じを漂わせています。
中央線の線路の南側に線路に沿って旧中山道が走り、北側には木曽川が流れます。木曽川にかかる橋を渡ると、平安時代の武将、木曽義仲(源義仲)が挙兵した地とされる「旗挙八幡宮」や、義仲の墓がある「徳音寺」、木曽義仲の資料を集めた「義仲館」などがあります。その一角にあったお蕎麦屋さんの「ともゑ庵」で一休み。夏空の広がる暑い日、冷たいざるそばは格別なお味でした。
木曽川からの風に吹かれ、おそばを堪能したあと、また列車に乗ってお隣の藪原駅に降り立ちました。
藪原(やぶはら)駅は、長野県木曽郡木祖村大字藪原に位置し、1910(明治43)年10月5日、国有鉄道の東からの延伸とともに開業しています。
ここにもまた、少し背の高い、立派な木造駅舎があります。
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ファサードの様子です。柱の土台や壁の板張りなど、少しずつ遊び心のある造りです。
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ファサードに掲げられた駅名板です。一枚板に彫られた駅名は趣があります。水色に塗られているはこれもまたちょっとしたおしゃれ、なのでしょうか。
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入口脇に貼られた建物財産標です。明治43年9月、開業当時の建物です。
藪原駅では約2時間半の待ち時間。駅周辺は藪原宿とのことなので、ここでも少し散策してみることにしました。
藪原駅を出て塩尻方面に少し歩くと、線路をくぐるトンネルがあり、そこをくぐれば藪原宿の通りです。藪原宿高札場跡の道しるべの脇には丸ポストが置かれており、レトロ感を出しています。
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木曽十一宿中もっともにぎわったとされる藪原宿のメインストリートには、当時の姿を色濃く残すさまざまなお店が軒を連ね、往時の活気が偲ばれます。
宿場町の面影を色濃く残すこの建物は、天然木を丁寧に挽いてつくったお六櫛の問屋さん、「篠原商店」です。
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街道を更に先へ行くと、漆塗りの櫛の看板を掲げた、「宮川漆器店」があります。入口脇の看板には「宮川家資料館」という看板も掲げられています。天明7年より6代に渡って偉業を営んできた宮川家の歴史を伝える資料館です。
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更に行くと、「こめ屋」の看板も見えます。入口の看板には「米屋興左衛門」と書かれているでしょうか。
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しばらくの間街道をぶらぶらと散策し、途中で見つけたお菓子屋さん「北原製菓店」でお土産に栗まんじゅうと蕎麦饅頭を買いました。栗が丸ごとひとつ入った白あんの栗まんじゅうが素朴な味わいながらとても美味でした。
中山道の宿場町、木曽路には、木曽11宿の宿場町があります。今回の旅ではそのうちの贄川宿・奈良井宿・藪原宿・宮ノ越宿・福島宿・須原宿・野尻宿の7宿を巡りました。観光地として整備された奈良井宿はもちろん、そのほかの宿場でも、昔の姿をとどめた美しい建物に魅了されました。観光地として見せるためだけではなく、そこで暮らす人々の生活に根付いた建物であることで、なお一層凛とした美しさを増すのでしょう。街道の両側に佇む趣のある建物に、往時を偲び、歴史の息吹を感じた3日間でした。
途中大荒れな天気もあり、予定変更を余儀なくされた旅でもありました。いくつかの駅をあきらめたりもしましたが、それはそれ、旅の思い出はくっきりと心に刻まれたのでした。
藪原駅で駅員さんに預かっていただいた荷物を受け取り、心地よい旅の疲れを感じつつ、東行きの列車に乗って帰途についたのでした。
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2011年8月24日(水)