鰺ヶ沢でおいしい料理と温泉を楽しみ、今回の旅程は終了。秋田から新幹線に乗って帰京のはずでした。しかし、昼過ぎには秋田を出発してしまうのはもったいないので、秋田駅の手前、八郎潟駅で途中下車、いくつかの駅を訪問することに。
秋田県南秋田郡八郎潟町に位置する八郎潟(はちろうがた)駅は、1902(明治35)年8月1日、奥羽本線の五城目駅として開業、1926(大正15)年11月1日、一日市駅と改称、更に1965(昭和40)年6月1日、現在の八郎潟駅と改称しています。
多くの特急列車が停車する八郎潟駅には、コンクリート製の駅舎があります。
駅舎正面に掲げられた駅名板です。JR東日本のロゴマークと紺色の駅名が、トラッドな感じです。
秋田県に伝わる「三湖物語」という民話があります。三湖とは、十和田湖、八郎潟、田沢湖。八郎潟町は八郎潟の主、八郎太郎伝説の町です。
正面入り口の脇に貼ってある建物財産標です。
コンクリート製の駅舎は、昭和40年12月に建て替えられたもののようです。
八郎潟駅でローカル線に乗り換えて三つ先の大久保駅に降り立ちました。
秋田県潟上市昭和大久保に位置する大久保(おおくぼ)駅は、1902(明治35)年10月21日に開業しています。
大久保駅には緑色のトタン屋根の大きな木造駅舎があります。
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駅舎正面、ファサードの様子です。
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ファサードに掲げられた駅名板です。
JR東日本のロゴマークと角丸の文字、よく見る形ではあるけれどなんとなく素朴な感じがします。
入口の脇に貼られた建物財産標です。昭和11年1月に建て替えられた駅舎のようです。
ファサードを斜めに見てみます。
ベージュに塗られた下見板張りの壁に、エメラルドグリーンのトタン屋根が美しく重なっています。庇を支える梁と柱との交わりが丸いのでとてももやさしい感じがします。
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駅舎内入口を入って左側、切符売り場の窓口の様子です。ガラスの窓にこげ茶色の木枠が落ち着いた感じです。
窓口付近のズームです。
大理石の切符台と、小さな穴がたくさんあいた丸い小窓、それにこげ茶色の木枠が、レトロ感を漂わせています。
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切符売り場の反対側、待合室のベンチです。
壁に貼りつく形の木のベンチは、窓口の木枠と同じこげ茶色に塗られています。
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入口の左側の壁にはお忘れ物の掲示板があります。黒板に白いペンキで罫線を引いたシンプルなものです。なぜか隅っこににこちゃんマークのクッションがかかっていました。
秋田方面側から見たホームの様子です。
単式島式2面3線のホームを持ちます。ホームとホームは跨線橋で結ばれています。
ホームを結ぶ跨線橋です。ベージュ色に塗られた縦羽目板張りの壁に斜めに並ぶ窓がリズミカルです。
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駅舎から一番離れた3番線、島式ホームの片方は、待避線になっていて、線路は行きどまりになっています。
雑草に覆われて錆ついた線路に哀愁を感じます。
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大久保駅のお隣、追分駅です。
秋田県秋田市鎌足追分に位置する追分(おいわけ)駅は、1902(明治35)年10月21日に開業しています。
男鹿線への分岐駅でもある追分駅にも、立派な木造駅舎があります。
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ファサードの様子です。ファサードの出入り口は風除けで囲われています。
ファサードに掲げられた駅名板です。
JR東日本の標準タイプで駅名板自体は面白みのないものですが、トタン屋根の緑とコーポレートカラーの緑がすっきりとマッチしています。
駅舎のホーム側改札口脇に貼られた建物財産標です。
35年7月、ダクトに隠れた部分には「明」と書かれていました。明治35年7月、正真正銘開業当時の建物です。
奥羽本線の途中駅である追分駅は、男鹿線への分岐駅でもあります。
男鹿線起点駅の標識の後ろには、停車場中央の標が設置されています。今回の旅ではあちこちの駅でこの停車場中央標を目にしました。都心の駅で見かけないのは本当にないのか、それとも気付かないだけなのか。
追分駅から分岐する男鹿線の方向幕です。
なまはげで有名な男鹿半島へ向かう盲腸線の男鹿線は「男鹿なまはげライン」の愛称がつけられています。五能線の色違い、アイボリーにグリーンのラインのキハには恐ろしげだけどどこかユーモラスななまはげが描かれています。
島式ホームにある待合室の壁に設置された乗換案内です。プラスチックにゴシック体の黒い文字で男鹿線への乗り換えを案内する、どこにでもある案内表示板なんですが・・・
壁にひっかける金具はこんな風になっていました。ここにはかつて、ホーロー引きの案内表示があったのかなぁと想像したりします。プラスチックに変えるなら、直接打ちつけちゃうとかすればいいのに、なぜか金具だけは残したのかなぁ、とか考えていたら、その部分だけが時が止まったように感じました。
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秋田方面側跨線橋の上からのホームの様子です。
単式島式2面3線に多くの側線を持ちます。右側の切り妻屋根が駅舎です。正面の跨線橋は、東西を連絡する自由通路です。
追分駅からまた列車に乗って、次の次、土崎駅にやってきました。
秋田県秋田市土崎港中央に位置する土崎(つちざき)駅は、1902(明治35)年10月21日に開業しています。
ここ、土崎駅にも、三角屋根が目を引く立派な木造駅舎があります。
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正面ファサードを斜めから見てみます。
背の高い切り妻屋根の中央に配した三角屋根のファサードには、ステンドグラスの飾窓があります。入口の前は風除に覆われています。
ファサードのステンドグラスです。ステンドグラスの周りにも、シンプルな意匠が施されています。
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ファサードの左側に設置された駅名板です。
JR東日本のロゴマークと駅名の一文字ずつがばらばらの行灯型です。
ファサード入口の脇に貼られた建物財産標です。
大正15年10月に建てられた建物のようです。
改札を入り、ホームへ。駅舎の左側、秋田方面側に古びた木造の建物を発見。切り妻屋根の妻側の壁一面下見板張りの建物は結構大きな感じです。
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木造の建物の入口付近に貼られた建物財産標です。
木造の建物は倉庫で、昭和14年3月の建立だそうです。
ホームを秋田方面側から見てみます。
単式島式2面3線のホームはホームの位置が大きくずれた千鳥式になっています。
秋田県内では秋田駅に次ぐ乗降客数を誇る土崎駅は駅構内も広く、多くの側線を持っています。
駅長室の入口には、ちょっと珍しい緑色の文字の案内表示が掲げられています。
島式ホームには朱色のボディーのディーゼル機関車のDE10が停車中。そこに貨物列車を引いたもう一台のDE10がやってきて、二台は仲良く並びました。
電気機関車でもない蒸気機関車でもない、中途半端なディーゼル機関車は、その形状も二つの中間的な感じで、その色と相まって、かわいらしさを感じます。
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土崎駅からは男鹿線のキハに乗って、お隣、秋田駅に到着しました。
秋田駅の改札を出ると、上空に秋田竿灯祭りのモニュメントがお出迎えです。竿灯祭りは8月3日から。つまりは秋田駅到着の翌日から。それはもう、秋田駅としても盛り上がらないわけにはいきません。
秋田駅で買い物をして、東京行きの秋田新幹線こまち乗車に備えます。
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7月30日に始まった友人たち3人でのみちのくの旅は、8月2日の帰京で幕を閉じました。
手元に残った切符は、上野−弘前の寝台券、青森−鰺ヶ沢(実際には弘前から乗車)のリゾートしらかみ号の指定席券、青森−弘前のかもしか号の指定席券、鰺ヶ沢−秋田(実際には八郎潟で途中下車)のリゾートしらかみ号の指定席券、それに秋田・大館フリー切符(往路)用、計5枚の切符です。秋田−東京の新幹線指定席券と、秋田・大館フリー切符のフリー区間用は、いつもは有人改札を通って手元に残すのですが、今回はついうっかり自動改札を通ってしまったため、ありません。
いつもの一人旅とはちょっぴり違う友との旅は、おいしい料理と温泉と名所の散策の間に、少しだけ駅舎巡りも織り交ぜて、いつもとは違う楽しみのある旅になりました。駅を降りるたびにあちこちにレンズを向ける私に、友はきっと呆れたことでしょう。それでも文句も言わずに付き合ってくれたことに感謝したいと思います。多少の(いや、多くの、でしょうか)社交辞令も交えて、「駅もなかなかいいよね」の言葉を信じて。
お酒好きの家族と友人へのお土産は「純米吟醸・じょっぱり」です。
2010年8月2日(月)