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のんびりゆっくりの因美線の旅を終えて、津山(つやま)駅に到着しました。
津山は、小京都とも呼ばれる城下町で、大和文化と出雲文化を結ぶ重要な道として発達した旧出雲街道沿いにある城東町並み保存地区など、城下町当時の姿をよくとどめています。
その玄関口の津山駅の駅舎も、なまこ壁を持つ味わいのある駅舎です。
この駅から、津山(つやま)線に乗って、岡山を目指そうと思います。
津山駅では約30分の待ち時間があります。駅舎周りを歩きながら、少しだけ小京都の雰囲気を味わった後、ホームに戻ってきました。
津山駅からは、今乗ってきた因美線と、これから乗る津山線、そしてもうひとつ、姫路に向かう姫新(きしん)線が出ています。
津山線は改札から一番遠く、4番線です。
改札を入り、ホームに出ると、4番線の奥は車両基地になっていて、いろいろな色の列車が停まっていました。やがて、車両基地からこちらに向かってきたのが、この列車です。どうやらこれがこれから乗る津山線の車両、キハ40系のようです。
車両の前後から、ディーゼルの白い煙を吐いているのがよく見えます。また、列車は写真の左側に進んでいるのですが、ヘッドライト、テールランプとも点灯しているのはなぜでしょうか。
津山からキハに乗って、津山口(つやまぐち) → 佐良山(さらやま) → 亀甲(かめのこう) → 小原(おばら) → 誕生寺(たんじょうじ) と乗って、その次の弓削(ゆげ)駅で降りることにします。
ホームは対向式、2面2線を持つ、比較的大きな駅のようです。
津山からやってきた列車は、右側の駅舎側のホームに停車しました。岡山方面側から、津山方面を眺めてみます。
先ほどの土砂降りは嘘のように空は青く晴れ上がっています。
跨線橋を渡って、反対側のホームに立って、ホーム側から駅舎を眺めてみました。窓枠こそアルミですが、屋根の妻部分の押し縁下見の壁や柱など、木造の味わいを見せています。
またホームの下側のレンガ積みが、とてもよい感じです。
改札を出て駅舎を正面から眺めてみます。
黒い瓦屋根と、切妻の屋根の下の広い庇が、どっしりとした印象を与えます。きれいに整備された駅前の様子や、古くてもしっかりと手入れの行き届いたこの木造駅舎にも、関係者の方々の深い愛情を感じます。
入口に掲げられた駅名標です。
黒い瓦屋根とハーフテンバーの白い壁に、白い駅名板がしっくりとなじみます。
弓削の町は川柳の町、ということで、入口脇には川柳の短冊が飾ってあります。駅舎内の待合室には椅子とテーブルも置かれていて、利用客が自由に自作の川柳を投稿できるようになっているようです。
弓削駅で約50分過ごしたあと、キハ120系の岡山行き列車に乗りました。お隣の神目(こうめ)駅を通過し、その次の福渡(ふくわたり)駅で降りることにします。
福渡駅では反対側、津山方面行きホームに、キハ40系の列車が入ってきました。方向幕には赤い字で「快速」と書いてあるようです。津山線の快速列車「ことぶき」ではないかと思います。津山線上には福渡などおめでたい名前の駅がいくつかあるので、それにあやかって「ことぶき」と命名されたと聞いています。
福渡駅でも改札を出てみることにします。
ここもやはり、赤い寄棟の瓦屋根の木造駅舎です。入口のたいらな屋根の上のかどばった文字の駅名板が、ちょっぴり現代風な感じがします。また、壁にさりげなく立てかけてあるよしずも、駅を管理している方の人柄が表れているようで、とてもよい雰囲気です。
駅舎を正面から撮ろうと、カメラを構えていると、その隣に停車していたタクシーの運転手さんから突然、「お〜い、運転手さん、そこどいてやんなよ」と声がかかりました。驚いてそちらを見ると、運転手さんは駅前に客待ちで横付けしている運転手さんに向かって叫んでいたのでした。駅舎風景は日常の風景でよいので、私自身は何も気にしていなかったのですが、運転手さんはそんな私を気遣って下さったようです。声をかけられて折り返してきた運転手さんはにこにこと窓から顔を出して、「じゃぁ、これでいいかな」とピースサインを出されました。
そんなわけで、すっきりとした駅舎の全景を捉えることができました。木造駅舎同様に、そこで暮らす人々も温かいのだと思ったできごとでした。
福渡のホームは、対向式、島式の2面3線を持つ、比較的立派な駅です。対向式ホームと島式ホームを結ぶ跨線橋の上から、津山方面を眺めてみました。
赤い寄棟の瓦屋根が、緑の山々と青い空によくマッチしています。
駅舎の様子を写真に収め、待合室で本を読んでいると、ホームに列車が入ってくる気配がします。岡山方面行きホームに入ってきたのは、黄色いキハでした。たしかあさかぜで下関まで行った時、広島や山口で見た色で、黄色がかわいいなぁと思った列車です。
津山線ではかわいい黄色は、「急行つやま」として運用されています。たった2両編成の列車ですが、れっきとした急行列車なのです。
もう一台、津山行きのキハ40を見送ったあと、1時間強を過ごした福渡駅を後にしました。
この駅でも、普通に考えたら長い待ち時間ですが、駅舎の様子を眺めたり待合室で本を読んだりしているうちにあっという間に過ぎた1時間と14分でした。
福渡駅から岡山行きの列車に乗って、お隣の建部(たけべ)駅にやってきました。建部駅にも1900(明治33)年開業以来の古い木造駅舎があります。
線路側から駅舎を眺めてみます。板張りの壁、柱、窓枠、純然たる木造建築です。白い土壁は剥げ落ち、竹を組んだ基礎が露出しています。
改札を出て、駅舎を正面から眺めてみます。
建部駅に列車が到着したのが午後5時32分。日の長い夏場とは言っても、太陽は西に傾き、辺りは薄暗くなってきました。
表から見ても、駅舎は純然たるみごとな木造建築です。黒い瓦屋根、板張りの腰壁、白い土壁と木製の窓枠、そして黒光りした柱。どれをとってもみごとです。
入口右側の役務室では、委託の職員の方でしょうか、そこで生活されている様子で、古いながらも丁寧に手入れをして大切に使っている様子をうかがうことができます。
津山線の建部駅、この駅舎の存在を知ったのは、真島満秀氏の「驛の記憶」という写真集からです。真島氏の建部駅の写真を見て、なんとしても見てみたい、そう思っていたのです。
駅舎入口に掲げられた駅名板は、開業当時の駅長さん自らの揮毫によるものだそうで、長い歴史を感じることができます。
入口を入って右側には切符売り場の窓口があります。その奥の少し低い台は、かつて荷物扱いをした頃の、荷物置き場でしょうか。窓口は閉じられ、飾り棚が置かれています。
入口左側は待合のベンチです。
ハーフテンバーの白い壁と、磨き上げられた木製の壁や柱が、大事にされているさまを表しています。後ろ側、掲示板がかけられている部分は窓で、その枠はもちろん木枠です。ベンチに置かれた本箱にはマンガ本が納められていて、列車待ちの人々のオアシスになっているのでしょう。
黒い瓦葺の入母屋作りの屋根、ここにも歴史を感じることができます。入母屋の屋根、その妻部分の板張り、ハーフティンバーの白い壁、木製の窓枠、木製の柱、そして初代駅長自らの揮毫による駅名板、どれも長い歴史を物語っているようです。
建部駅を午後6時8分に出て、途中 金川(かながわ)、野々口(ののくち)、牧山(まきやま)、玉柏(たまがし)、備前原(びぜんはら)、法界院(ほうかいいん)と進んで、終点の岡山駅に着きました。
因美線と並ぶ重要な陰陽連絡線の津山線。因美線は様々な事情から過疎が進むばかりですが、津山線は逆に「急行砂丘」が廃止されたことを受けて「快速ことぶき」「急行つやま」が運用を開始したように、少しずつ整備されてきているように思います。まだまだ今回訪問した弓削、福渡、建部など味わいのある木造駅舎が残る反面、整備されつつある分、かつての味のある木造駅舎が建替えられてもいるようです。
岡山駅に着いたのは、朝5時に鳥取駅をたって約14時間後の午後6時47分でした。岡山駅で待っていたのは、陽気なアンパンマン列車でした。
2006年8月22日(火)