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今回の第一の目的、餘部鉄橋を見て、鳥取の宿(といってもビジネスホテルですが)に逗留し、ゆっくりと休みました。早目に床に入ったのにはワケがあります。それは、次の日の朝が早いから。
18きっぷの旅2日目は、鳥取駅から因美(いんび)線・津山(つやま)線に乗って、岡山まで行こうと思います。
岡山に夕方到着するためには、1番列車に乗らなければならないのです。
そんなわけで、早朝5時8分発の1番列車で岡山を目指します。
まだ夜明け前で、あたりは真っ暗ですが、ホームはもう始発列車の発車準備を整えています。
鳥取駅からは因美線に乗って、智頭(ちず)駅を目指します。
因美線はきれいなオレンジ色のキハ40系列車でした。
オレンジ色のキハは、真っ暗な鳥取駅を出発し、津ノ井(つのい) → 東郡家(ひがしこおげ) → 郡家(こおげ) → 河原(かわはら) → 国英(くにふさ) → 鷹狩(たかがり) → 用瀬(もちがせ) → 因幡社(いなばやしろ) と進んで、5時51分、智頭駅に到着しました。
いつのまにかすっかり夜も明けて、明るくなっていました。途中の停車駅にも魅力的な駅はあったのですが、この先のことを考えると割愛せざるを得ませんでした。
智頭駅からは、第三セクターの智頭急行線が分岐しています。
赤い瓦屋根と下見板張りの白い壁が、かわいらしい感じです。また、三角のファサードの下の立派な赤い駅名標のとなりの後からつけたようなブルーのJRのマークがなんとなくユーモラスです。
智頭駅からは同じ因美線ですが、乗り換えが必要です。
智頭駅から乗ったのは、津山行きのキハ120系列車です。
智頭駅の次、土師(はじ)駅を、列車の中から撮影しました。
少し前まで駅舎があったのですが、解体され、待合室だけになってしまいました。
土師駅の隣、那岐(なぎ)駅です。しばらく停車するということなので、列車を降りて、ホームから写しました。
那岐駅は、ホームよりも低いところに駅舎があるため、ホームからは長い階段を下りて行くことになります。左側にある斜めになった屋根が階段です。駅舎は、ホームからはこんなふうに、赤い瓦屋根だけが見えます。
那岐駅のお隣、美作河井(みまさかかわい)駅です。因美線での最初の下車駅は、ここ、美作河井駅にしました。
朝7時8分、あたりはまだ朝もやに包まれています。
山奥深くの駅舎は、赤い屋根に下見板張り、ハーフテンバー、三角屋根のファサードを持つ、とてもよい感じの木造駅舎でした。
三角屋根の入口を正面から見ると、こんなふうです。
真正面の改札ごしに見える緑が、とても美しく見えます。
ところでこの三角屋根のファサード、他の部分と比べて新しい感じがします。あちこち調べてみたところ、2003年12月に積雪のためにもともとあった平らな庇が崩壊、地元の人々の熱意により新しく三角屋根のファサードが完成したそうです。
駅舎側からホームを眺めてみます。
ホームには駅舎と同じ赤い屋根の待合室があります。赤い屋根は、濃い緑にとてもよく映えるのです。
ホームの手前側は草ぼうぼうですが、かつてはこちら側にも線路があったようです。広い土地の真ん中にぽつんとホームがあるように見えますが、かつてはホームの周辺一帯が、鉄道設備だったのです。
約1時間40分の待ち時間、駅舎の中にも飽きて、朝の日差しは強くても吹き抜ける風が涼しいホームのはしっこに腰を下ろして本を読んでいると、やってきたおばあさんが、「こんにちは。そこでは日に焼けてしまうよ」と声をかけてくれました。
駅舎には、駅ノートが置いてあります。ノートは管理人さんによって、大切に管理されていました。
中にはこの駅での出会いのことなど、心が温かくなるお話しも見られました。
駅に降りてからしばらくたった頃、津山からの列車がやってきました。
長いホームのはしっこに停車した列車から、にぎやかな団体さんが降りてきました。
そういえばさっきから、駅舎の外では宿からのお迎えなのか、車が一台待っていましたっけ。
ホーム側から駅舎を眺めてみます。
ホーム手前側の草ぼうぼうからは、こんなふうに線路が2線延びています。蒸気機関車の頃、活躍したターンテーブルは、この先にあったのでしょうか。
因美線はかつて、「急行砂丘」が走る、重要な陰陽連絡線でした。その頃、単線の因美線では、タブレット閉塞が必要でした。しかし、さほど乗降客の多くない美作河井駅は、急行の通過駅でした。そのため、ここでのタブレット交換は、タブレットキャッチャーが使われていました。
1997年11月、急行砂丘が廃止され、タブレット交換が不要になったとき、山間の小さな駅の交換設備も不要になり、同時に無人駅になったのです。
美作河井駅で十分に森林浴をし、古きよき時代の風に浸った後、また列車に乗ります。知和(ちわ) → 美作加茂(みまさかかも) → 三浦(みうら) と乗って、次の美作滝尾(みまさかたきお)駅で降りることにします。
駅舎の造りは、さっき見てきた美作河井駅によく似ています。しかし、駅舎の古さは美作河井駅以上です。瓦の屋根、板張りの壁に加えて、正面の窓枠も扉の枠も全て木造です。
到着したのは午前9時10分。線路側から午前中の日が当るので、完全に逆光になってしまいました。
三角屋根のファサードと、そこに掲げられた駅名標です。
建物の右側にある碑には、「男はつらいよ ロケ記念」と彫られています。映画、「男はつらいよ」のロケ地として知られている、美作滝尾駅です。駅舎の中には、ロケの風景の写真が飾ってあります。
駅舎の中を撮ってみます。
駅舎の外回りだけではなく、駅舎の中の鉄道にまつわる設備も全て木製なのが、この駅のすごいところです。
写真は入口を入って左側にある切符売り場です。切符を受け渡しする台も丸みを帯びていて、木のぬくもりが伝わってくるようです。
切符売り場で切符を買ったら、体を右側に回します。するとそこには、木製のラッチがあります。
線路側から午前中の柔ららかな日差しを浴びた木製ラッチに、駅員さんがにこやかに立っているような錯覚を覚えます。
美作滝尾駅では、次の列車が来るまで、約1時間30分を過ごします。
しばらくは列車が来ない線路に立って、津山方面を眺めます。線路はまっすぐに延び、それを見守る木造の駅舎はとても温かです。こちら側の窓は傷みが激しかったのでしょうか、アルミサッシに変わっています。
次の列車を待つ間、近くをふらふら歩いて駅舎を眺めてみたり待合室のベンチに座って本を読んだりと、のんびりとした時を過ごします。
そろそろ列車が来るかな、という頃になって、突然雷が鳴り出したりもして、たまたま一緒に列車を待っていた地元の方と、「今のは雷?」なんて会話を交わしたりしているうちに、津山行きの列車がやってきました。
美作滝尾駅から列車に乗って、お隣の高野駅で降ります。
改札を出ようとすると、そこには犬がつながれています。まさかずっとここにつながれているわけではない、たまたまなんだと思いはするものの、実は犬が怖い私はその場で固まってしまいました。しかたがないので改札を出ず、しばらくホーム側で写真を撮ったりして、改札を抜けずに駅舎側に出たのでした。
ワンワンと吠える犬を回避して、やっと表側に出て正面から駅舎を眺めてみます。美作河井や美作滝尾と同じように赤い屋根の木造駅舎なのですが、なんだか違和感を覚えます。
写真を撮り、駅舎に戻ってくると、そこにはわんちゃんの飼い主さんらしき方がいらっしゃって、待合室のベンチに座って一服されていました。入口から入ってきた私に吠えるわんちゃんとそれを怖がる私を見て、飼い主さんは「子犬だから遊んで欲しくて鳴くんだよ」とおっしゃるのですが、過去に何度も犬に吠えられて怖い思いをしている私はその恐怖心を拭い去ることができません。
仕方なく心の中で耳をふさぎ、飼い主さんと会話を交わしたのでした。
わんちゃんの飼い主さんは、「山に登るの?」と訊ねます。「いえ、駅舎を見に来たのです」と答えると、「もうなんにもなくなっちゃったよ」と寂しげに答えられました。
高野駅は、美作河井駅と同じように、かつてはタブレット交換がされた駅です。線路側からホームを眺めると、そこには確かに対向式のホームがあり、もう1線の線路があった形跡を見ることができます。
そういえばさっきみた駅舎の正面の違和感も、窓を覆った白い板だったのだと気付きました。
さっき美作滝尾駅で鳴り出した雷はやがて大粒の雨を降らせ始めました。あぁと思っているうちに土砂降りになり、保線担当の方たちも様子を見に来る有様。これはまずいなぁと思ったのですが、ここで味方をしたのは次の列車がくるまでの3時間の待ち時間でした。諦めて待合室で本を読んでいるうちに、雨は止み、また青空が広がり出したのです。
うまい具合に高野駅で雨宿りをして列車に乗り、終点の津山駅を目指します。
通過したお隣の東津山駅を、列車の窓から撮影しました。緑色の瓦屋根が、なんとなくいい感じの駅舎です。緑色の屋根の上には、もう青い空が広がっています。
かつては重要な陰陽連絡線だった因美線。智頭駅からの智頭急行の整備がされて、すっかり忘れ去られた感のある路線です。高野駅での3時間の待ち時間が示すように、本数は極端に少なくなっています。
智頭駅を出たのが朝の6時半で、津山駅に到着したのは午後の2時。7時間もかけてたった3つの駅舎を見ました。しかし、どこの駅でも「飽きたな」と感じることはありませんでした。本を読んだりただぼぉっとしていたり。どの時間も私の胸にしっかりと焼きついた大切な時間になりました。
2006年8月22日(火)