最後に残った青春18きっぷ。どうしようかなと考えた結果、中央本線の塩尻駅から松本駅を通り、信越線の長野駅まで達する篠ノ井線を歩くことにしました。
塩尻駅を起点、信越本線の篠ノ井駅を終点とする篠ノ井線は、多くは長野県の県庁所在地、長野駅まで直通しています。しかし、運行形態は途中駅の松本駅が起終点となり、ここから中央本線経由で東京方面、名古屋方面、信越本線経由で長野方面への運行となります。
木曽路巡りの道程と同じく、甲府駅から長野行きに乗り換え、塩尻駅の二つ先、村井駅で下車しました。
長野県松本市村井町南に位置する村井(むらい)駅は、1902(明治35)年12月15日、国鉄中央線塩尻〜松本間開業と同時に開業しています。
ここには、緑色のトタン屋根を葺いた木造駅舎があります。
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正面ファサードの様子です。外装などは改装されて新建材が使われています。
ファサードの庇に設置された駅名板です。緑色のトタン屋根に緑色の文字、色合いを考えての組み合わせなのでしょう、美しくマッチしています。
入口の扉の上に貼られた建物財産標です。年号の部分はよく見えませんが、年月は15年3月になっています。大正か昭和かの15年に改築された建物であるということのようです。
駅の構内は広く、JR貨物の貨物駅も併設しています。
長野県第二の都市、松本駅にも程近く、人の出入りは比較的多いようです。
駅前にあるこの建物は立ち食いそば屋さんで、信州そばを味わうことができます。
時はちょうどお昼時、かけそばをいっぱいいただきました。
ホームに設置された地表型の駅名標です。
ホームは長く、6両編成の普通列車ではもてあまし気味です。気動車から電車への変遷を経て、ホームはかさ上げされ整備されていますが、その土台には開業当時のレンガ積みが残ります(後で調べてわかったことで、残念ながら写真には納めませんでした)。
村井駅を出て三つめ、松本駅に到着です。
長野方面行きの多くはここで乗り換えになります。乗換時間も少しあるので、改札を出てみることにしました。
長野県松本市深志に位置する松本(まつもと)駅は、1902(明治35)年6月15日、国鉄篠ノ井線として開業しています。
初代駅舎から何度か改築され、近代的な建物になっています。
駅舎正面、松本口の入口の柱には、コンクリート製の駅舎に似つかわしくないこんな駅名板が掲げられています。火災により焼失してしまった初代の木造駅舎に掲げられていた駅名板だそうです。駅舎は改築され、しばらくはお蔵入りされていたそうですが、松本駅のシンボルとして復活させたそうです。
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松本駅で長野行きに乗り換えて、お隣の田沢駅に到着しました。
長野県安曇野市豊科田沢に位置する田沢(たざわ)駅は、1902(明治35)年6月15日、国鉄篠ノ井線の駅として開業しています。
ここにも緑に囲まれた木造駅舎があります。
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正面ファサードの様子です。
水色のトタン屋根に白文字の駅名板が映えます。町屋風の風除けもいい感じです。
ファサードの庇の上に掲げられた駅名板です。
江戸文字に近い白い文字が青い空に美しく映ります。
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ファサードの入口の上には、こんな木製の駅名板も掲げられていました。一枚板に書かれた文字は手書き風で、味があります。
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入口の脇に貼られた建物財産標です。「昭和」の文字を消して「明治」とし、その横には35年の刻印が見えます。開業当時の駅舎のようです。
駅舎を正面右側、塩尻方面側から見てみます。
水色のトタンを葺いた寄棟の屋根の廻りには、ぐるりと回廊がめぐらされています。
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ホームに設置された地表型の駅名標です。駅舎とは地下道で繋がれた島式ホームは、改修中でした。
田沢駅で約一時間過ごしたあと、長野方面行き列車に乗ってお隣の明科駅に降り立ちました。
長野県安曇野市明科中川手に位置する明科(あかしな)駅は、1902(明治35)年6月15日、国鉄篠ノ井線の駅として開業しています。
ここには最近改装されたかなと思われる木造駅舎があります。
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ファサードの様子です。田沢駅と同じように、町屋のような風除けがあります。
ファサードに掲げられた駅名板です。
和風の文字ではありますが、まだ新しい感じがあります。事前の調査ではホーロー引きの駅名板があったはず。改築したときになくなっちゃたのかな、とがっかりしたりもしました。
入口から駅舎内に入ると、左側に待合室があります。扉で仕切られた空間は冷暖房完備で心地よい空間になっているようでした。その壁にふと目をやると、そこにかつてのホーロー看板がありました。大事に保存してくれてるな、と嬉しくなる半面、やっぱりこれは駅舎正面にあってこそだよねと思ったりもしました。
ホームに設置された地平型の駅名標です。
緑色の枠に白いアクリル板。JR東日本の地方線によく見る形です。ホームもきれいに改修されているようでした。
明科駅でも約一時間過ごし、また列車に乗ってお隣の西条駅に降り立ちました。
長野県東筑摩郡筑北村西条に位置する、西条(にしじょう)駅は、1900(明治33)年11月1日、国鉄篠ノ井線の駅として開業しました。
信州の静かな村にはそれに似つかわしい味わいのある木造駅舎があります。
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ファサードの様子です。
屋根の上の角丸の駅名板と小さな庇、こんもりと緑の木、赤い小さなポスト。なんとなくバランス良くコンパクトにおさまっている感じがします。
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ファサードの屋根に掲げられた駅名板です。
白地に黒の角丸のゴシック体が、シンプルですがくっきりと見やすい駅名板です。
ファサードの入口の上には、木製の駅名板も掲げられています。屋根の上のシンプルな駅名板に対し、一枚板に彫り込んだもので、立派で味わいのあるものです。
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入口脇に貼られた建物財産標です。昭和9年11月と刻印されています。昭和に入ってから改築された、比較的新しい駅舎であることがわかります。
ホーム側長野方面側からみた駅舎妻側です。重なり合った切り妻屋根にはそれぞれに意匠を施された通気孔が設置されています。
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駅舎正面右側、塩尻方面側から斜めに見てみます。
こちら側の妻部分にも意匠を施された菱形の通気孔があります。
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上の写真の妻部分左側、窓の上部の壁には、こんな意匠が刻まれています。何も意味を持たない飾に、遊び心と美への追及が見られます。
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菱形の通気孔のズーム画像です。
駅舎正面左側は駅事務所部分が曲がり屋風になっています。その屋根妻部分にも、このような意匠が施されています。
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長野方面側の手前側の妻部分の意匠です。
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長野方面側の奥側の妻部分の意匠です。
こんな風に、どの妻部分にも単純な壁ではなく、それぞれに工夫を凝らした意匠が施されています。こんなところに、建築に携わった人々のこだわりを見ることができます。
駅舎の前には、水飲み場もあります。
駅舎正面左側、長野方面側、曲がり屋の前付近には「西条駅開駅百周年記念」の記念碑も設置されています。
木造の駅舎、人々を迎え入れるファサード、ファサードには水飲み場と小さな郵便ポスト、凝った造りの駅名板、駅前広場に設置された記念碑、そして駅舎のそこここに施された意匠。駅としてのさまざまな機能と美しさ、駅としての粋を少しずつ全て持った美しい駅舎だなと思いました。
駅の前には万屋さんでしょうか。町屋風の建物に、カラフルな自販機はちょっとちぐはぐですが、それはそれでよいのかも、と思います。
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お店の壁には、「すかっとさわやか」コカコーラの昭和時代のレトロな看板が掲げられていました。

長野県の塩尻から長野まで、長野県の中心を担う長野市、松本市、塩尻市を結ぶ篠ノ井線は、長野県にとっても重要な路線のようです。果ては首都圏東京、東海圏の中心都市、名古屋とも結ばれ、長野の人々とっては欠かせない路線なのでしょう。そこに点在する駅は、近代的に生まれ変わった駅もありますが、まだまだ昔の姿を留めた味わいのあるも駅舎あります。それが今回見て回った4駅でしょうか。列車の本数は概ね1時間に1本。駅を探索するにもお手頃な間隔でした。残念ながら4駅目の西条駅で日も暮れかかり、これ以上の前進は難しくなりました。この先も篠ノ井駅まで趣のある駅舎の宝庫です。次回の訪問を楽しみにしたいと思います。
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2011年9月10日(土)