寝台特急の旅の疲れを癒し、2日目の旅の始まりです。
出発は富山県の高岡駅。朝6時、目覚め始めた駅に到着しました。
改札を入って左側、跨線橋の手前の通路を行くと、頭上にこんな表示が現れます。矢印に従って歩いて行くと、氷見線のホームに出ます。
たくさんのホームと側線を持つ広い高岡駅の、一番駅舎側、7,8番線が氷見線のホームです。
多くのホームは駅舎と平行に並んでいて跨線橋を渡ってホームに出るのですが、氷見線のホームは駅舎の直江津側の隣の位置にあって、跨線橋を渡らずにホームに出られます。
頭端式のホームには氷見行きの1番列車、小豆色のキハ40系列車がスタンバイしています。
1番列車に乗って3分、お隣の越中中川駅に到着しました。
富山県高岡市中川に位置する越中中川(えっちゅうなかがわ)駅は、1916(大正5)年4月1日、中越鉄道の中川駅として開業、1920(大正9)年9月1日、越中中川駅と改称しています。
駅舎の正面はこんな風に足場が組まれていています。近くの工芸高校の生徒のデザインで、壁に絵を描いているのだそうです。
ファサードの様子です。
三角屋根もきれいに塗られています。高校生がデザインした壁画は、春夏秋冬をあらわしているらしく、入口付近には満開の桜が描かれていました。
入口のドアの上に掲げられた駅名板です。木の板に黒のゴシック体のすっきりしたデザインです。
入口左側、改札の窓口と改札口です。
改札口はホームと垂直になっていて、改札を出たら鈎型に折れてホームに出る形になっています。
入口右側、待合室です。
ありきたりなプラスチックのベンチと、駅には不釣合いなテーブルの組み合わせがおもしろい感じです。
ペンキで塗られた鉄製の改札ラッチは、ところどころがはげかかっています。
ホームに設置された駅名標です。JR西日本の標準的なタイプです。
氷見方面側からの様子です。
かつて対向式2面2線あったホームは、現在では単式1面1線の棒線駅になっています。
ホームから見える駅舎の妻部分にも、カラフルなペンキで塗られているのが見えます。
塗装工事もほぼ終了し、その日には足場もはずされて式典が行われる予定なのだそうです。早朝から仕事をされていた駅長さんは、高校生のお陰で駅舎が明るくきれいになったとご満悦でした。古い木造駅舎をこよなく愛する私としては、「すてきですね」と言いつつも、ちょっと複雑な心境。とは言っても、駅は地元で駅を利用される方々のためのもの。利用者の方々が喜んでいるならば、それはそれでいいかもな、と思ったことでした。
ご満悦な駅長さんのお話を聞きながら55分を過ごした越中中川駅から、列車に乗ってお隣の能町駅に到着しました。
富山県高岡市能町にある能町(のうまち)駅は、1900(明治33)年12月29日、中越鉄道の駅として開業しています。
大きくてどっしりとした駅舎は、どこか武骨な印象を受けます。
ファサードの様子です。
角をくりぬいて作ったような入口には、ただ貼り付けただけのそっけない駅名板が以外とよい味を出しているのかも知れません。
入口から見た駅舎内の様子です。
正面には改札口、右側には窓口があります。無人駅のため閉ざされた窓口の前にベンチが設置されています。大きくてどっしりした駅舎の割には、待合室はこじんまりしているなぁ、そんな印象を受けます。
白い鉄製の改札ラッチを抜けると、構内踏み切りがあって、駅舎とホームを繋げています。
改札を出て左側に目を向けると、その軒指しにはこんな看板が。駅長室だったときの面影を木製の看板に残します。
駅長室の看板が掲げられた部屋の窓には、こんな看板も設置されています。
大きくてどっしりとした能町駅は、旅客駅であると同時に貨物駅でもあります。旅客用の氷見線とは別に、貨物専用の新湊線の接続駅でもあるのです。
ホームに設置された駅名標です。もう随分と見慣れたJR西日本の標準形です。
高岡方面側からのホームの様子です。
島式1面2線のホームに、多くの側線を持ちます。ホームと駅舎との間には跨線橋はなく、構内踏み切りで結ばれています。ホーム左側(駅舎と反対側)にはホームのない待避線があり、貨物線である新湊線へはここから発着します。
貨物駅としての役割も果たす能町駅は、武骨でありながら機能美にあふれています。
機能美あふれる能町駅で49分の時を過ごし、列車に乗ってお隣の伏木駅に到着しました。
富山県高岡市伏木古国府に位置する伏木(ふしき)駅は、1900(明治33)年12月29日に中越鉄道の駅として開業しています。貨物駅でもある伏木駅にも、大きくて立派な駅舎があります。
ファサードの様子です。
屋根から庇まで繋がった一軒のつくりのファサードは屋根が高く立派な印象を与えます。
入口脇に掲げられた駅名板です。あたりまえでない文字の形が、いい感じです。
入口正面の改札口と左側の切符売り場の窓口です。
改札口を入ったところの通路にはフラワーポットなどが置かれています。そこにしゃがみこんで植物の手入れをされている駅長さんの背中に優しさを感じます。
入口右側はドアで仕切られた待合室になっています。
入口のドアの上には建物財産標が貼られています。
明治33年、開業当時の建物であることがわかります。
駅舎の右側(高岡方面側)には広い屋根があります。そこはおそらく団体専用の改札口なのでしょう、締め切られた鉄製の改札ラッチが並んでいます。
トイレへの案内表示にはレトロなホーロー引きの看板が残ります。
ホームに設置された駅名標です。ここもJR西日本仕様の駅名標です
氷見方面側から見たホームです。
ホームは島式1面2線。駅舎とホームは跨線橋で繋がれています。駅舎と反対側には側線があり、貨物列車用の操車場に分岐しています。
駅舎とホームの間には手入れの行き届いた植え込みがあります。
伏木駅では約30分過ごして、また列車に乗るはずでした。しかし、なんとなくぼんやりしていて、1本列車を見送ってしまいました。幸い、20分も待てば次の列車が来る朝の通勤時間、のんびりと次の列車を待つことに。
1本遅れて伏木駅を出発。二つ先の雨晴駅に到着しました。
ひとつ前の越中国府駅とこの雨晴駅との間は、車窓から美しい海が見られるはずでした。しかし、空はどんよりとした曇り空。ちょっとがっかりしながらの、雨晴駅到着でした。
富山県高岡市渋谷にある雨晴(あまはらし)駅は、1912(明治45)年4月5日、中越鉄道の駅として開業しています。義経伝説が残る雨晴駅にも、背の高い木造駅舎があります。
入口の上に掲げられた駅名板です。JR西日本のマークが入ったシンプルな駅名板です。
高岡方面側からのホームの様子です。
対向式2面2線のホームを持ちます。ホームとホームを結ぶのは高岡側にある構内踏み切りです。正面から見るとあんなに背の高い駅舎ですが、ホームからと見るとさほどでもなく不思議な感じです。
京都から東北へ逃亡する源義経が近くの岩陰(義経岩)でにわか雨が晴れるのを待ったことに由来する「雨晴」は縁起もよく、かつては記念切符なども売られていたそうです。雨晴海岸への海水浴客のための臨時列車も仕立てられたりしていたそうですが、現在はちょっと寂れてしまった感があります。
写真は氷見線の線路沿いに見える「女岩」です。残念ながらの曇天模様で、いまひとつな姿でした。
伏木駅でのぼんやりもあって、もともと1時間近くあった滞在時間は半分になって、散策の時間がとれなかったのも残念の原因でした。晴れていれば、の思いはありますが、相手は自然、こればかりはかないません。
雨晴駅で30分弱の時を過ごし、逆方向の城端線に乗るために、上り列車に乗って高岡駅を目指します。
2009年8月4日(火)