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温泉には入り損ねたものの、日田のホテルではゆっくりと休息し、夏旅最終日に突入です。
日田駅からの日田彦山線一番列車は、まだ夜も明けぬ5時30分の出発です。改札の窓口にいた若い駅員さんに、「どちらまで行かれます?」と聞かれ、行き先を答えると「3番線です」と教えてくれました。
夜明け前のホームには白いボディーにブルーのラインのキハが待機中です。 |
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煙を吐き、ごとごとと音をたてながら発車した列車のボックスシートに腰掛けて、なにげなく上を見上げると、「JNR」のマークの入った懐かしい扇風機がありました。クーラーがない時代には、あれには随分とお世話になったんだっけかな、と思いつつ、写真を一枚。 |
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昨日、しばしの時間を過ごした夜明駅もとおり、約20分、4つ目の大鶴駅で下車しました。
夜の明け切らぬ6時前、ファサードに灯のともる、木造駅舎は静寂に包まれています。 |
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大分県日田市に位置する大鶴(おおつる)駅は、1937(昭和12)年8月22日に開業しています。
駅前に植えられた木の隙間から見た駅舎正面の様子です。緑の間に見えるドア、窓枠、壁、どれも美しい木造です。ファサードの庇の下には「今日もお元気で」と手書きされたプレートが掲げられています。 |
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駅舎の正面左側にある小さな木造の建物はトイレです。トイレ個室のドアも羽目板の木製です。昔はあちこちの駅で見たこんな形、懐かしさが漂います。 |
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駅舎正面右側の路地を歩いてみることにします。道路と田んぼの間の用水路からは涼しげな水音が聞こえてきます。田んぼの向こうには線路が見えるので、畦を通ってそこへ行ってみます。線路は田んぼと同じ高さに敷かれていて、柵もありません。踏み切りでもないところを渡って線路の反対側に出てみました。
線路の反対側から見た駅舎の様子です。単式1面1線の駅のはずなのに、線路と駅舎の間がこんなにあいているのは、島式1面2線の駅舎側の線路を剥がし、棒線化したためです。
線路に沿ってあちこちに「通行危険」の看板が立っています。 |
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ホーム側から見た駅舎の様子です。
ベンチこそはプラスティックですが、建物自体、壁、窓枠、ドア等、全て美しい木造です。木製のラッチは白く塗られ、手入れをされている跡がみえます。
改札ラッチの上には「お疲れさまでした」の手書きのプレートがあり、入口と対をなしています。 |
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駅舎のホーム側に設置された駅名標です。青い黒板に白墨で書かれたような、素朴な味わいが嬉しい駅名標です。
まだ薄暗い6時前に到着してから次の列車が来るまでの2時間ちょっと。静かに佇む木造駅舎と共に8月29日の朝を迎えました。
時間つぶしに歩く道ですれ違った自転車の少年の、「おはようございます」の声が快く耳に残ります。 |
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大鶴駅から3分、お隣の宝珠山駅に到着しました。
福岡県朝倉郡東峰村に位置する宝珠山(ほうしゅやま)駅は、1937(昭和12)年8月22日に開業しています。
駅舎は1998(平成10)年に建て替えられたコミュニティーセンターとの合築駅舎です。つい最近改築された建物であるにもかかわらず、羽目板、白壁、木枠の窓と、木造にこだわった建物です。
駅舎は福岡県朝倉郡東峰村ですが、ホームの3分の1は大分県日田市で、九州で唯一県境をまたぐ駅として有名です。ホームには県境である旨のポールが立っています。
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駅前を流れる大肥川に架かる橋の向こうに、ちょっと気になるこんな建物が見えます。
山間の緑に囲まれる赤い屋根の洋風建築の建物は、無人なのでしょうか、窓などはところどころベニヤ板に覆われていたりするようですが、妻部分の通気口や出窓や屋根の形状など、美しい姿を見せています。 |
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宝珠山駅でも2時間近くの時間があるので、少し駅の周りを歩いてみることにしました。
橋を渡り、川沿いの国道を大分方面へ歩きます。沿道にはタバコ屋さんがあり、お店の横には丸ポストがたっています。 |
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国道から川沿いの土手に入ると、川のその先に日田彦山線の鉄橋が見えます。そろそろ日田行きの列車が通る頃かも知れないなとしばらくその場に佇み、待ってみることに。
やがて、宝珠山駅の方から列車がやってきました。朝もやに包まれる緑の山々に抱かれた、白いキハは、宝珠山駅を出発したばかりの日田行きの列車です。
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宝珠山駅から列車に乗って4分、お隣の大行司駅に到着しました。大行司駅にも古い木造駅舎が残ります。 福岡県朝倉郡東峰村に位置する大行司(だいぎょうじ)駅は、1946(昭和21)年9月20日に開業しています。
押縁下見板張りの壁も窓枠も、完璧な木造の姿です。美しい板張りの壁を、途中まで白くペイントされているのは、大鶴駅や夜明駅と同じです。
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ホーム側から見た駅舎の様子です。
プラスティックのベンチ以外、壁もラッチも木枠の窓も、全て昔のままではないでしょうか。
入口脇に設置された駅名標は、大鶴駅と同じように、黒板に白墨で書いたような素朴な味わいです。 |
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大行司駅のホームは、駅舎のはるか上にあります。ホームから駅舎までは写真のような階段を77段ほど降りなければなりません。この急な階段の先に、対向式2面2線、交換可能なホームがあるのです。
ホームに降りたとたんに目に入ったこの黄色い布が、「黄色いハンカチーフ」であるとわかったのは、駅舎の掲示板に貼られた「高倉健展」ポスターを見たときでした。 |
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大行司駅でも2時間半の時間があるので、駅の周辺を歩いてみることにしました。
駅を出るとすぐに「宝珠山小学校」があります。夏休みでがらんとした校庭に入ってみると、広い校庭の隅っこに、今は使われていない古い木造校舎が残っていました。
木造校舎の上に見える黄色い三角形が大行司駅のホームです。古い木造校舎の上にホームがあって列車が走る、そんな感じになっています。 |
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宝珠山小学校の校門を入ってすぐのところにも、木造校舎があります。こちらも今は使われていないようで、窓にはベニヤ板が打ちつけられています。
深い緑に抱かれた白い板張りの校舎は、なんとも懐かしいものでした。 |
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古い木造校舎の隅っこに、ひっそりと佇むように赤い消火栓も立っていました。
もう何十年も前の小、中学校時代が目の前にあるような、とても懐かしい空間でした。 |
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大行司駅の周辺は、村の中心地に当たるのか、学校や行政施設などが集まり、にぎやかです。
また、棚田の名所でもあるらしく、伸び盛りの緑の田んぼが重なり合って美しい風景を見せています。写真はホームから見下ろした棚田の様子です。
昔のまんまの木造の駅舎、使われていないけれど残っている木造の校舎、傾斜地を利用した棚田、どれも懐かしく美しい姿です。 |
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2時間半を過ごした大行司駅からまた列車に乗って15分、二つ先の彦山駅に到着しました。日田彦山線の路線名にもなっている彦山駅には、大きくて立派な駅舎があります。
福岡県田川郡添田町に位置する彦山(ひこさん)駅は、1942(昭和17)年8月25日に開業しています。
彦山駅は英彦山(ひこさん)への玄関口なっており、建物は英彦山神宮奉幣殿を模して赤い柱を使用するなど、とても優雅なつくりになっています。
英彦山は耶馬日田彦山国定公園の一部で、日本百景にも指定されています。 |
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駅舎の待合室の様子です。
天井が高く、窓も多いので、明るく開放的な待合室です。しかし、これだけ立派な駅ですが、無人駅のせいでしょうか、がらんとしていて殺風景な感じがします。
一時は地元の陶芸家が駅舎を借りて工房にしており、焼きあがった作品の販売などもしていたようですが、今はそれもなくなってしまったのでしょうか、シャッターが下りた状態になっていました。 |
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駅舎の中から外を見てみます。駅前は広く、お土産やさんなどのお店も軒を連ねています。
時はちょうどお昼時、一番右側に見えているお店に入り昼食を済ませることにしました。食事の後何気に見ていたテレビのニュースでは、東海地方で大雨の被害が出ていると言っています。今日、寝台特急で帰る予定の私、ちょっといやな予感が・・・。
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彦山駅では1時間半の待ち時間。荷物をお店の方に預かっていただいて、周辺を歩いてみることにしました。
駅前の赤い大きな橋を渡り、ぐるっと廻ってホームの裏側へ。ホームの日田側の踏み切りで見送った、日田行きの白いキハです。 |
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周辺の散策を終え、再びホームへ。
ホームに設置された駅名標は、国鉄型の古いタイプ。錆び具合がいい塩梅です。
日田彦山線の中心的存在を思わせる彦山駅の駅舎は、そのイメージどおり優雅で美しい駅舎です。
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彦山駅で1時間半を過ごし、列車に乗って約20分、6つ目の池尻駅で降りました。
福岡県田川郡川崎町に位置する池尻(いけじり)駅は、1899(明治32)年7月10日に開業しています。
駅舎は古い木造駅舎ですが、半分を水色で塗られています。ホームから駅舎に入るとき、なんだかちょっと異様な感じが。駅舎正面の窓はトタンで覆われ、妻部分の窓は破れた状態。入口の扉もなく、要するに放置状態で荒れ気味な感じ。
ホームから駅舎への通路とか、駅前など、植え込みもあって、かつてはそれなり美しく整った駅だったであろう名残があるだけに、ちょっと残念な駅舎です。 |
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駅舎の中の待合室の様子です。窓口などは全てベニヤ板で覆われ、こげ茶色に塗られています。よく見ればかすかに残ったカウンターの下は、レンガ様のタイルが張られていて、それないりにおしゃれな雰囲気を持っているのに、同じ色に塗られた壁があまりにも暗く、ごみの散乱した待合室は悲惨な状態です。地元のボランティアの方々が一生懸命きれいにしようとされている様子もうかがえるのですが、その努力を踏みにじるような惨状です。 |
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ホームに設置された駅名標です。この古ぼけた感じは、普段なら「おぉっ」と感動するところですが、この駅に限ってはみじめで見てられない気分にさせられます。ホームにある待合室には腰を掛けるいすもなく(かつてはあったけれど、壊されてしまった様子)、駅舎の中はあんな状態でそこで休む気にもなれず、立ったまま1時間20分をやり過ごしました。
もともとは添田地区などから採掘された石炭を運ぶために敷設され、発展した日田彦山線。石炭産業の栄枯盛衰とともに走ってきた路線です。炭鉱の閉山と共に寂しくなっても地域の人々に支えられて昔ながらの姿を維持する美しい駅舎たちの姿を堪能したあとで、この池尻駅の様はあまりにも物悲しく、別の意味で心に響くものでした。 |
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池尻駅で大きな疲れを感じつつ、列車に乗って、小倉駅を目指します。
シートにすわり、旅の余韻を感じながら携帯で列車の運行状況を調べてみると、彦山駅で感じたいやな予感どおり「寝台特急・富士・はやぶさ号」は運休すると報じられています。これで最後のチャンスも潰えたね、とがっかりしながらみどりの窓口で寝台特急をキャンセルして新幹線の切符を買いました。夕方6時過ぎ、ぎりぎり終電に間に合うかなと言う時間。でも、寝台特急に乗れなくなった代わりに、小倉駅でもうじき引退の0系新幹線に会えました。
楽しみにしていた寝台特急には結果的には乗ることができず、がっかりな旅ではあったけれど、九州の駅舎たちはそれを忘れさせるようなすてきな駅舎たちでした。この夏旅で降りた駅43駅(乗換のみも含む)は、どれも心に残る駅舎たちでした。多くの駅にはそこを管理される職員の方がおられ、駅を美しく管理してくださっていました。あちこちの駅で交わされた「おはようございます」の声が心地よく耳に残っています。
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2008年8月29日(金)
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