《久大本線・その1》
  
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夏旅も後半に差し掛かりました。夏旅4日目は、豊肥本線と並んで九州を横断する、久大本線の旅です。
福岡県の久留米駅と大分県の大分駅を結ぶから久大本線。その沿線には大分県の小京都と呼ばれる日田や、温泉街の湯布院などを控え、「ゆふいんの森」などの優等列車も豊富です。
宿泊地の羽犬塚駅を一番列車で出発し、久大本線の始発駅、久留米駅に到着しました。
福岡県久留米市に位置する久留米(くるめ)駅は、1890(明治23)年3月1、九州鉄道の駅として開業しています。
見上げた空はどんよりとした曇り空。駅前の大きなからくり時計とオレンジ色の文字の駅名板が印象的でした。
駅前には、ご当地出身の「からくり儀右衛門」こと田中久重が製作した「太鼓時計」をモチーフにしたからくり時計があります。8時から19時までの毎正時に、時計盤が回転し、儀右衛門人形が現れ、自分が成作考案 した作品の一部を身振り手振りで説明する仕掛けだそうです。それに合わせて奏でられる音楽は、ご当地ゆかりのチェッカーズの「涙のリクエスト」、松田聖子の「赤いスイートピー」、中村八大作曲の「上を向いて歩こう」などだそうです。
時計が示すとおり到着したのは朝の6時半。残念ながら演奏は見られませんでした。
久留米駅からの久大本線の発車は6時44分、1番乗り場から出る日田行きです。
ホームに設置されている駅名標です。JR九州の標準型的な駅名標のトレードマークは、久留米椿です。
久留米駅から列車に乗って、ほんの5分ほどでお隣の南久留米駅に到着します。
背の高いマンションに埋もれるようにして、瓦屋根と回廊を持つ古い木造駅舎が建っています。
福岡県久留米市に位置する南久留米(みなみくるめ)駅は、1928(昭和3)年12月24日に開業しています。埋もれるような木造駅舎は、開業当時の物ですが、2001年に駅事務所部分が解体され、それまでの半分の大きさになっています。
正面ファサードを斜め下から見上げてみました。屋根の下に掲げられた駅名板は控えめでシンプルです。羽目板張りの壁やハーフティンバーの壁も美しく、庇を支える柱には国旗掲揚のための筒が設えられています。
駅舎の正面左側、もともとは駅事務所があったところの妻部分です。
普通列車しか停まらない小さな駅の立派過ぎる駅舎を半分にしてコストダウンを図る、そんなとき、半分に切った面を新建材で覆ってしまうことはありがちなこと。しかし、この南久留米駅は違います。正面と同じ下見板張りとハーフティンバー。それはみごとに繋がっていて、正面から妻側にぐるっと廻ってきてもまったく違和感がありません。
正面入口から待合室を見ています。左側にばベンチ、右側には改札の窓口、正面に改札口があります。
改札を抜けてトンネルのような通路をまっすぐに行くと階段があり、階段を上がればホームです。
コンパクトな待合室は掃除も行き届き、こざっぱりとしています。
朝7時前、お客さんはまだまばらです。
入口のところに建物財産標が貼ってあります。
建物ができたのは昭和3年11月。確かに開業当時の駅舎です。
ホームは盛り土がしてあって、一段高いところにあります。
改札口からまっすぐホームの下のトンネルを進み、左に折れて上がる階段を、外から見るとこんな風です。羽目板張りの壁と窓、片流れの屋根が、なんとなくリズミカルな感じです。
盛り土をしたホームの法面にはきれいに刈り込まれた植木が植えてあります。これはつつじの木だそうで、春になると一面をつつじが埋め尽くし、美しい姿を見せてくれるのだそうです。
ホームに設置された駅名標です。JR九州型の駅名標のトレードマークはありません。
南久留米駅ではラッシュ前の静かな1時間を過ごしました。駅舎の内外が美しく手入れされたこの駅にも、業務委託の駅長さんがいらっしゃいます。この方もとてもきさくな方で、駅前に放置された自転車の整理をしながら、にこやかに話しかけてくださいました。駅舎が半分になってしまったこと、春にはつつじが咲き乱れること、そんなことを話してくださいました。わんちゃんとお散歩途中のおじさんが立ち寄り、駅長さんとしばらくお話しする姿も。
次の列車は7時47分、そろそろ通勤通学のお客さんも増え始めます。改札口ではしっかりと「おはようございます」の声が聞こえていました。
南久留米駅から列車に乗って12分、二つ目の善導寺駅、ここにも古い駅舎があります。
福岡県久留米市に位置する善導寺(ぜんどうじ)駅は、1928(昭和3)年12月24日に開業しています。
駅名は近くにある浄土宗大本山善導寺に由来しています。ファサードの屋根の下には大数珠が飾られ、善導寺の門前駅であることをアピールしています。
駅舎は古い木造駅舎ですが、南久留米駅と同じように、駅事務所部分を解体した半分の姿です。正面からは趣のある姿ですが、解体された駅事務所側の妻部分は、南久留米駅と違って残念ながらトタンで覆われています。
それでも、駅前の植え込みや待合室など、手入れも行き届き、無人駅でありながら美しい駅です。
駅舎をホーム側から見てみましょう。
荷物専用の出入り口でしょうか、大きな庇があり、かつては立派な駅舎であっただろうことが想像できます。
駅舎前に並べられたフラワーポットや、壁に整然と掛けられた掃除道具など、地域の方々に守られている様子がうかがえます。
縦羽目板張りの腰壁や土壁、木枠の窓など、美しい木造駅舎の姿を見ることができます。
入口の上に貼ってある建物財産標です。
金属製のプレートは錆が出ていて読みにくいですが、かすかに昭和3年10月31日と読めます。開業当時からここに貼ってある建物財産標です。
駅舎の正面から、解体された側とは反対側には通路があり、きれいに手入れをされた花壇があります。その通路の先には、木造の建物、それは昔ながらの木造のトイレです。
古いトイレは汲み取り式で、水洗になれた私たちにはちょっと抵抗があるのですが、しかし、中は丁寧に掃除がされていて、すがすがしい感じです。ここもまた、地域の方々の努力なのでしょう。
木造のトイレにも、建物財産標が貼ってあります。
こちらははっきりと、昭和3年10月31日、開業当時の建物であることが読み取れます。
駅舎のホーム側の壁面に設置された駅名標です。
ローマ字表記が一番下にきてグレーになっています。九州の駅でよく見かける形です。
7時代の約1時間、無人の木造駅舎で過ごしました。本来ならラッシュアワーにかかる時間。しかし人の出入りは少なく、とても静かな駅でした。
静かな善導寺駅から列車に乗って三つ目、筑後吉井駅に到着しました。
特急列車も停車する比較的大きな駅にも、白い壁となまこ壁を持つ木造駅舎があります。
福岡県うきは市に位置する筑後吉井(ちくごよしい)駅は、1928(昭和3)年12月24日に開業しています。浮羽町と吉井町が合併してできたうきは市の中心駅です。
小さな鬼瓦を乗せたファサードと、そこに掲げられた駅名板です。なまこ壁と白壁、瓦屋屋根、のファサード越しに、停車中の黄色いキハが見えます。
なまこ壁の前には赤い丸ポスト。相性ぴったりな感じです。ところどころ錆びが出ているようですが、それが逆にいい感じです。
ファサードの屋根の下、入口の中央上部の梁の部分にはこんなプレートが貼られています。築年は入っていませんが、建物財産標といえるでしょうか。
ホームに設置された駅名標です。トレードマークはありません。
筑後吉井駅の周辺は天領日田を結ぶ街道の拠点として古くから宿場町・商人の町として栄えたところで、今も白壁土蔵の商家が軒を連ねています。その中心駅である筑後吉井駅の駅舎は、古くからの町並みを模した、白壁となまこ壁を持つ土蔵のイメージです。
筑後吉井駅で過ごした時間は40分、もう少し時間があれば白壁土蔵造りの商家の並ぶ町並みを散策できたのにとちょっと残念です。
筑後吉井駅から列車に乗り、お隣のうきは駅で降りました。
ここにも押縁下見板張りの壁を持つ小さな木造駅舎があります。
福岡県うきは市に位置するうきは駅は、1931(昭和6)年7月11日、筑後千足駅として開業、1990(平成2)年5月1日、うきは駅と改称しています。
三角屋根のファサードの奥に一枚板の駅名板が掲げられています。角のまるいゴシック体の字体がやさしい感じです。
駅舎内、切符売り場の窓口のカウンターは丸みのある木製で、しかもその支えにはかわいらしい意匠が彫り込んであります。なんでもないところにさりげなく手を掛ける、そんなところに愛情を感じます。こじんまりとした待合室は清潔で、今は使われていない小荷物預かりのカウンターにはお花が活けてあったり、関係者の心遣いが伝わってくるような小さな駅舎です。
入口の駅名板の脇に貼ってある建物財産表です。日付は昭和6年5月、開業当時の駅舎です。
ホームに設置された駅名標です。トレードマークはありません。
小さな木造駅舎には委託の駅長さんがおられます。近くにぶどう狩りができるところがあるのでしょうか、何組かの観光客の方がおられ、駅長さんはその対応に大忙しでした。
開業当時からの小さな木造駅舎は、改修しながら丁寧に使っている印象を受けます。待合室の木枠の窓や木のベンチ、木製のカウンターなど、いい感じで昔の状態が残っています。押縁下見板張りの美しい壁は、白く塗らなくても・・・と思ってみたりもするのですが。
2008年8月28日(木)