《久大本線・その2》
  
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うきは駅からまた列車に乗って、10分、二つ目の夜明駅に着きました。
ここにもまた、小さな木造駅舎があります。
ファサードに掲げられた駅名板は独特な書体で書かれた一枚板のものです。「夜明」という駅名がなんだかロマンチックな感じを受けます。
大分県日田市に位置する夜明(よあけ)駅は、1932(昭和7)年3月12日に開業しています。
駅舎は崖の上にある感じで、急な階段を上らなければなりません。駅舎の目の前がすぐ崖という感じで、正面からの全景写真の撮影は困難です。
階段を降りたところが広くなっていて、なにかの小屋の脇には丸ポストがぽつんと立っています。
崖の下には国道が走り、大きなトラックなどが結構なスピードを出して通り抜けたりしていて、いつものローカル線のイメージで不用意に道路に出ると非常に危険です。道路の対面には商店があり、そこで切符なども売っているようです。また、道路と平行に阿蘇山を水源とする筑後川(地元の通称は「三隅川」)も流れています。
駅舎の中の様子です。左側には切符売り場の窓口と小荷物預かりの窓口があり、右側にはベンチがあるこじんまりとしたつくりは、うきは駅などと同じ形です。無人駅なので窓口はベニヤで覆われていますが、木製のカウンターにはお花が生けられています。小荷物預かりのカウンターには駅ノートも置かれていました。
ファサードの駅名板の脇には建物財産標が貼られています。ペンキを塗るときに一緒に塗りこめてしまったようで、判読は不能です。
駅舎のある単式ホームと隣の島式ホームとを結ぶ跨線橋を渡るとき、階段の途中でたわわに実る栗の実を発見。まだ緑色のいがは若々しく、これからの成長が楽しみです。
跨線橋を渡り、島式ホームにやってきました。駅舎の前には列車を待っているお兄さんが座っています。「写真撮るよ」と声をかけると一瞬照れたような顔をして、そっぽを向きました。
窓枠こそはアルミサッシですが、縦羽目板張りの腰壁と木製のラッチ、トタン屋根の庇、行灯型の駅名標など、昔ながらの形の駅舎は、深い緑に抱かれて気持ちよさそうに佇んでいます。。
ホームに設置された駅名標と乗り換え案内です。鳥居型の駅名標のトレードマークはありません。
夜明駅で列車を降りたとき、切符を受け取る運転手さんは、「乗り換えですか?」と聞きました。途中下車するだけだけれど、といぶかしく思いつつも説明するのもなんだからと「そうです」と答えました。その意味がここでやっとわかりました。
久大本線の駅である夜明駅は、日田彦山線の分岐駅でもあるのです。実際には日田彦山線は常時日田駅まで乗り入れているので、この駅が始発駅であるイメージはあまりないのですが。
始発駅としての役目はなにもない無人駅ですが、跨線橋の上から見える立派なホームと、確かに大きく二手に分かれる線路には、分岐駅の誇りを感じます。
夜明駅で約50分弱を過ごし、また列車に乗って1時間15分、恵良駅に到着しました。
大分県玖珠郡九重町に位置する恵良(えら)駅は、1929(昭和4)年12月15日に開業しています。
駅舎を正面から見ると、瓦屋根の色が途中から変わっているのがわかります。どうやら恵良駅は、もともとの大きな駅舎の半分を民家に改築しているようです。
三角屋根のファサードに掲げられた駅名板です。
小さな鬼瓦を持つ屋根の板張りの妻部分に貼られた、黒板に書いたような駅名板が素朴でいい感じです。
入口から見た待合室の様子です。板張りの腰壁と白い壁、木枠の窓に木造の美しさをよく残しています。高いところの窓も明かり取りの役目を果たし、室内が明るく感じられます。
反対側には切符売り場の窓口もあるのですが、無人駅となった今はベニヤ板で覆われています。
ホーム側から見た駅舎の様子です。ホームは若干高いところにあり、ホームへは階段を幾段か降りるようになっています。
駅舎への階段の周りには手入れの行き届いた植木が植えられ、木陰ができて涼やかな感じがします。ホームの壁に設置された駅名標は、黒板に白墨で書かれたような形で、素朴な味わいがあります。
入口の梁に貼られた建物財産標です。黒い鉄板の財産標は少し錆びが出ているものの、昭和4年10月7日の建築であることが読み取れ、開業当時の駅舎であることがわかります。
駅舎と反対側のホームに設置された駅名標です。トレードマークは「竜門の滝」です。柱に貼られたホーロー引きの駅名標には歴史を感じます。
恵良駅はかつては宮原線(1984年に廃線)の分岐駅であり、構内にその廃線跡も残っています。美しく手入れされた恵良駅には、もともとは分岐駅という重要な駅だったという誇りが見えます。
恵良駅で1時間50分弱を過ごし、二つ先の豊後中村駅に到着しました。
朝からどんよりとした空模様でしたが、ここにきて俄かに本降りとなり、古い木造駅舎はもやに煙ってしまいました。
「ゆふ」「ゆふDX」などの優等列車の停車駅であり、九重山や九重「夢」大吊橋など観光地への玄関口でもあるだけに駅前は広く、連絡バスなども出ています。
大分県玖珠郡九重町に位置する豊後中村(ぶんごなかむら)駅は、1928(昭和3)年10月28日に開業しています。
斜め下から見上げたファサードには一枚板の駅名板が掲げられています。ファサードの瓦屋根は緑色に苔むして、長い歴史を感じます。
ホーム側から見た駅舎の様子です。恵良駅と同じように駅舎は一段低いところにあって、階段を降りるようになっています。
豊後中村駅も階段の周りには手入れに行き届いた植木や草花が植えられていて、人々の目を楽しませてくれます。駅舎の壁に設置された黒板型の駅名標が素朴な味わいです。
入口の駅名板の下に貼ってあった建物財産標は完全に錆びていて判読不明です。
駅舎があるホームを大分方面に歩くと、こんな建物があります。純然たる木造建築のこの建物には、「油脂保管庫」というプレートが掛かっていました。いわゆる「ランプ小屋」でしょうか。
この建物を撮影していると、駅長さんがやってきて「何か面白いものありますか?」と声を掛けてくださいましたので、また少しお話を聞かせていただきました。
開業当時の古い駅舎が残る豊後中村駅、実は駅舎を含めた駅前の土地は町に買い取られ町有地になっているのだそうです。ということはこれから先、合築駅舎に建て替えられてしまう可能性もあるのかも。もしもそうならとても残念なことです。
豊後中村駅で過ごした時間は1時間35分。16時半を過ぎて、ここいらで時間切れです。
植木や草花で覆われたホームやこんもりとした緑の山に抱かれた木造駅舎を反対側のホームから眺めながら、宿泊地に日田温泉を目指して折り返します。
豊後中村駅から40分ちょっと列車に乗って、夜明駅から恵良駅に行くときに通過した日田駅に到着しました。
列車を降りたホームの柱には、ホーロー引きの駅名標が設置されています。
列車から降り立ったホームからふと反対側のホームを見ると、こんな建物があります。2面3線のホームを持つ日田駅、ホームとホームを繋ぐのは地下道です。地下からホームへの階段の上屋がこの建物です。壁、窓枠、全てが完璧な木造です。
島式ホームに停車中の列車です。
多くはこの駅を始発とする、日田彦山線の白いボディーにブルーのラインのキハと、久大本線を走る黄色いキハです。
大分県日田市に位置する日田(ひた)駅は、1928(昭和3)年12月24日に開業しています。
駅舎は昭和47年に改築されたコンクリート製。白地に赤い駅名板は、角張った文字が逆にかわいい感じです。
九州の小京都とも呼ばれる日田は、温泉もあり、久大本線内では湯布院に次ぐ観光地でもあるため、駅前は広く、観光客の送迎のためのタクシーも多くてにぎやかです。
駅前で夕食を済ませ、予約してある宿へ。せっかくの温泉地だし、素泊まりだけれど温泉も入れる宿を予約、のんびりと温泉に、と思っていたのですが、チェックインをして部屋に入ると朝5時からの疲れがどどっと出てきました。とりあえず汗を流そうと、部屋に備え付けのバスルームでシャワーを浴びると、そのままダウンな状態。タイトルの「日田温泉で寛ぐ」は、実は「そうできればよかったのに」と思う気持ちです。
日田温泉、湯布院など有名な観光地を抱える久大本線は別名を「ゆふ高原線」とも呼ばれ、優等列車もばんばん走る観光路線です。しかし、その沿線の駅には、昔ながらの木造駅舎も残り、それらはどれも地元の人々に愛される温かいぬくもりのある駅舎たちでした。
ぬくもりのある木造駅舎で働く駅長さんたちは、どの人もきさくで親切です。素朴な駅舎を見たくて下車する駅での何もない時間、人々のぬくもりを感じる駅舎訪問の旅でした。
自然豊な水郷日田の、深井戸からくみ上げた水で作った焼酎「ひた美人」、これが友人や家人へのお土産です。
2008年8月28日(木)