《豊肥本線・その3》
  
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高原の小さな駅赤水駅で50分ほどを過ごし、また列車に乗りました。お隣のスイッチバック構造の立野駅を過ぎ、3つ先の肥後大津駅で降りました。
ここ肥後大津駅には板張りの壁を緑色に塗った木造の駅舎があります。駅前は比較的狭い感じですが、バス便が多く、賑わいを見せています。熊本航空が比較的近い距離にあるため、交通の要衝とされています。
熊本県菊池郡大津町に位置する肥後大津(ひごおおづ)駅は、1914(大正3)年6月21日に開業しています。
ファサードに掲げられた駅名板です。波型のトタン屋根の上で、こじんまりとまとまった感じがします。
待合室の様子です。木の柵の向こう側、窓口付近は何もなくホールのような感じです。柵のこちら側が待合室になっていて、ベンチなどが置かれています。
ここから先終点の熊本駅までが電化区間で、ほとんどの列車はこの駅で折返し運転をするため、乗降客は多く、にぎやかな感じがします。
ホームに掲げられた駅名標です。行灯型の駅名標は若干高さがなく、幅広な感じがします。
これといって特色のない肥後大津駅からまた列車に乗って、9個先の南熊本駅で降りました。
ここ南熊本駅にはオレンジ色の屋根とファサードを持つ立派な洋風建築の駅舎があります。
以前は熊本市電や熊延鉄道などの乗り入れがあり、熊本南部の拠点駅でした。市電の停留場があったと思われる駅前広場広く立派ですが、廃止された今は往来も少なくとても静かです。
熊本県熊本市に位置する南熊本(みなみくまもと)駅は、1914(大正3)年6月21日に春竹駅として開業、1940(昭和15)年5月1日、南熊本駅と改称されています。
駅舎は昭和18年に改築され、熊本大空襲の戦火を生き抜いて現在に至っているそうです。戦時中に改築された駅舎だけに、駅舎はがっちりと安定感のある形で、ファサードを支える柱の太さにも力強さを感じます。
ファサードを下から眺めてみます。太い柱や庇の支えなど、がっちりと駅舎を支えているような感じがします。
入口から待合室に入ってみます。天井の高い待合室は広々としていて開放感があります。それと同時にがらんとしていて寂しい感じも受けます。
入口を入ってすぐ左側、上の写真の窓口の手前に、自動販売機が置かれたこんな不思議な空間があります。なんだろうなと思い、改札を入るときに窓口おられた駅長さんに聞いてみました。
駅長さんのお話では、あの不思議な空間はかつて小荷物取扱の部屋があったのだということです。その前に窓口があり、お客さんから預かった荷物の事務処理をする部屋。小荷物取扱の低いカウンターに続いて切符売り場のカウンターがあり、そうして最後に改札口があった、と。それがどんどん縮小されて、小さな窓口になってしまった、ということでした。かつての繁栄の頃を思い出すように目を細め、駅長さんは語ってくださいました。
駅長さんのお話を聞いた後、列車に乗るためにホームへ。熊本県の代表駅の熊本駅に程近い南熊本駅ですが、ホームにはレトロなホーロー引きの駅名標が残ります。日豊本線などで見た形の、どうどうとした楷書体の駅名標です。
こちらは地表式の駅名標です。トレードマークは緑川上流域にかかっている「石橋」です。かつては緑川流域を走っていた熊延鉄道の分岐駅だったことに由来しているのだそうです。
様々な栄枯盛衰の歴史に思いを馳せながら、美しい駅舎を後にしました。
南熊本駅からまた列車に乗って二つ目、終点の熊本駅に到着しました。
熊本駅の豊肥本線のホームは0番線。ここで終点、端頭式のホームです。
ホームに設置された駅名標です。なんとなくターミナル駅らしさが漂う、国鉄型の当駅名のみの駅名標です。
3番線の鹿児島本線のホームには、「はやぶさ号」の乗車位置のマークが掲げられています。これが見納めなんだよなと思い、惜別の意を込めて写真を一枚。
熊本駅から鹿児島本線に乗って、宿泊地の羽犬塚(はいぬづか)駅で降りました。
6時43分の一番列車から、なんだかんだと宿泊地に到着したのは夜8時過ぎ。いささか疲れました。
阿蘇のカルデラを突っ切る豊肥本線。もっと天気がよければ、すばらしい景色も見えたのかも知れないなと思います。阿蘇山への観光路線を前面に打ち出した感の豊肥本線ですが、通勤通学の足として、地元の人々にとってはなくてはならない路線でもあります。
観光地を意識した阿蘇駅など、それはそれでよいのですが、人々の生活のための駅、内牧駅の凛とした美しさなど、心に残るものでした。
また、豊後竹田駅や南熊本駅などで出会ったきさくな人々も、よい思い出です。
豊の国の旅、予定の半分を過ぎ、心地よい疲れを感じています。
2008年8月27日(水)