《日豊本線・その1》
  
《画像クリックで大きくなります》
小倉のホテルで初日の疲れを癒し、駅舎めぐりの旅が本格的に始まります。
早朝の暗いうちなら、昨夜撮影できなかった南口の駅名板が見られるかな、そんなことを思いながら南口にも廻ってみましたが、残念ながらライトは消えていました。
仕方なくそのまま改札口に戻り、青春18きっぷに日付を入れてもらって、ホームへ向かいます。
本日の旅は日豊本線の駅舎めぐり。いくつかの駅で途中下車をしながら、少しずつ日豊本線を南下し、大分まで行く予定です。
日豊本線の1番列車は、5時37分発、宇佐行き、1番乗り場からの発車だと行き先表示は告げています。
一番端っこの1番線からは、小倉駅の行灯型の駅名標がこんなふうにいくつも重なって見えました。
まだ日が昇らない小倉駅を出発。徐々に明るくなる車窓の風景を楽しみながら約1時間、列車は14個目、豊前松江駅に到着しました。
時刻は6時24分。駅舎はホーム側からの朝日を浴びて、美しい黄金色に輝いていました。
福岡県豊前市に位置する豊前松江(ぶぜんしょうえ)駅は、1897(明治30)年9月25日に松江(しょうえ)駅として開業、1945(昭和20)年5月1日、山陰本線松江(まつえ)駅との識別を目的に、豊前松江駅と改称されています。
駅舎を正面から見てみます。俄かにかかった雲と逆光とで、暗い写真になってしまいましたが、駅舎は古くからある美しい木造駅舎です。
三角屋根のファサードに掲げられた駅名板です。1枚板に筆で書かれた駅名と、それを照らす古びた電球、そして塗りのはげたようなふるい屋根瓦が、純朴な味わいを出していると思います。
駅舎正面向かって右側の切妻部分です。下見板張りの木の壁は、三角のとんがりの端っこまできっちりと張られていて、それは当たり前のことだけれど、改めて美しいことだと思います。
入口を入って右側、切符売り場の窓口の様子です。
縦羽目板張りの腰壁はもちろん、カウンターも、窓口の窓枠さえも木造で、木のぬくもりを感じます。右端に見えている低いカウンターはかつての小荷物預かりの窓口です。小荷物預かりの業務がなくなった今は、掲示板になっているようです。
駅舎ホーム側、駅事務室の入口のところに貼ってある建物財産標です。どうやら味わいある木造駅舎は昭和7年10月19日築のようです。もともとの金属製の財産標は錆や汚れで読み取り不能ですが、そこにそのまま貼ってあるのがなんだかいいなぁと思います
駅舎のホーム側に設置された駅名標です。
比較的最近新しく掛けかえられたようですが(少し前まで黒板に白墨で書いたような形の木製の駅名標があったはず)、JR九州の一般的なスタイルに白木の枠の一工夫に愛情を感じます。
駅舎の駅名標は新しくなってしまったようですが、ホームの柱にはホーロー引きの駅名標が残っていました。後ろに僅かに見えている海からの潮風のせいか、白い文字は錆て茶色くなっていますが、十分に役目を果たしているようです。
早朝のラッシュアワー前の静かな駅舎に、一人、また一人と乗客がやってきます。ぼんやりとベンチに座ってその様子を見ていたのですが、改札を通過するとき、乗客と駅員さんの間で「おはようございます」のやりとりがされることに新鮮な感動を覚えました。ここの駅長さんもきさくな方のようで、お客さんが途切れたとき、ベンチの私に声をかけてくださったのですが、そんな話をしますと、「自然とそうなっちゃいますね」とさらりとおっしゃったのがまた印象的でした。
豊前松江駅で1時間ほどを過ごし、また列車に乗って5つ先の東中津駅で降りました。
大分県中津市に位置する東中津(ひがしなかつ)駅は、1901(明治34)年5月25日、大貞駅として開業し、1952(昭和27)年11月15日、東中津駅と改称されています。
ここにもまた、古い木造駅舎が残ります。
正面入口横に掲げられた駅名板です。
白に茶色い柱を見せたハーフティンバーの壁に渋い濃紺の看板、なんとなく上品な感じを受けます。
入口から待合室に入ります。壁の上部は新建材のようですが、下部は縦羽目板張りです。
入口右側の低いカウンターはかつては小荷物預かりの窓口だったのでしょう。このカウンターの先に切符売り場の窓口があり、先ほどの豊前松江駅の造りとよく似ています。
入口の引き戸も純然たる木造です。新建材の壁やアルミサッシの窓など、若干味気ない部分もありますが、この引き戸はすばらしいものです。一番人の手が触れる取っ手の部分など、こすれて擦り切れて色が落ち、丸みを帯びています。
始発前、終電後、力をこめて戸締りをする音ががらがらと聞こえてくる気がします。
対向式ホームから見た駅舎です。寄棟の瓦屋根と付け庇のバランスが絶妙です。
駅舎のホーム側に貼ってある建物財産標です。
どうやら開業から14年後、大正4年5月30日がこの駅舎のお誕生日のようです。
駅舎のホーム側、駅事務室の窓の柱には、ホーロー引きの駅名標が設置されています。濃紺の地に楷書体の白い文字がきれいです。傷みもほとんどないこの駅名標は、まだ新しいのでしょうか。
駅舎ホーム側、改札口のすぐ脇には、こんな駅名標が設置されています。ブルーの地色がさわやかです。
ここ、東中津でも1時間弱の滞在でした。ラッシュというほどではないけれど、お客さんはひっきりなしな感じでした。
ここの駅長さんもきさくな方で、お客さんが途切れ、手が空くと、ベンチに座ってぼんやり様子を眺めている私に話しかけてきてくれました。ご自身も一緒にベンチに座って、あれこれお話。到着しなかった寝台特急の話やら佐伯から先の列車の本数の少なさやら。中でも入口の引き戸の話は嬉しそうでした。ただ単に、こんなものに美しさを感じる人がいるとは・・・という驚き、かも知れませんが。
東中津駅からまた列車に乗って、お隣、今津駅で降ります。
正面から眺めた駅舎全景です。三角屋根のファサードを持つ、曲家風の木造駅舎です。駅前は広く、駅舎前の植え込みなどもきれいに手入れがされています。
窓やドアこそはアルミサッシですが、壁は美しい下見板張りです。
大分県中津市に位置する今津(いまづ)駅は、1897(明治30)年9月25日に開業しています。
三角屋根のファサードに掲げられた駅名板は、さわやかな水色の板に角の丸いゴシック体で書かれた、こんな形です。
入口入って正面、白い金属製の改札ラッチと切符売り場の窓口です。切符売り場の手前の低いカウンターは、ここもかつての小荷物預かりで、今では掲示板になっています。
今津駅も、豊前松江駅や東中津駅と同じように、ホーム側の駅事務所の窓のところに建物財産標が貼ってあります。
駅舎本屋の建物自体は開業から40年たった、昭和12年2月23日に建てられたもののようです。
駅舎正面向かって右側、曲家の先に、小さな小屋があります。
下見板張り、木の窓枠など、古い木造の建物です。窓が割れていたり、傷みもあるようですが、小さいながらも凛とした美しさがあります。
小さな小屋をホーム側から見た様子です。ホームの植え込みの裏側にひっそりと佇む建物は、庇の下が引き戸になっています。
引き戸の枠も何もかも、純然たる木造建築です。
引き戸の上に、建物財産標が貼ってありました。財産標の表示によると、どうやらこれは危険品庫(ランプ小屋)のようです。
建てられたのは明治30年9月25日。今津駅が開業したその日から、この場所でずっと駅の歴史を見守ってきたのでしょう。
ホームの柱の駅名標はどれもみな、青いホーロー引きの駅名標でした。
駅舎の脇、少し低いところのこの駅名標は、植木に囲まれて、居心地がよさそうでした。
駅舎の前には植木鉢がいくつか並び、植え込みはきれいに手入れがされています。駅長さんが植物がお好きらしく、丹精込めて育てた季節の鉢植えを駅構内でお披露目してくださるのだそうです。夏場は種類も少ないそうですが、春のつつじ、秋の菊など、季節季節の移ろいを楽しませてくれるのだそうです。
駅舎ホーム側に設置された駅名標です。
今津駅にも豊前松江駅と同じように、青い黒板に白い白墨で書いたような駅名標があったはずですが、プラスチックの新しいものに掛け換わっていました。
今津駅では45分ほど散策して列車に乗るはずでした。しかし、ここでちょっとしたミスが。
この駅の駅長さんもきさくな方で、お話をさせていただいたのですが、ついついお話に引き込まれ、ホームを間違えてしまったのです。そろそろ列車がくるはず、と待っていたホームは実は反対側で、自分が乗るべき列車を写真を撮りながら見送ってしまったのです。出て行った列車の方向幕が「宇佐」だった(右の写真)ことに後から気付き、あわててみたものの後の祭り。
でも、そのおかげで、駅長さんのお話をじっくり聞くことができました。駅長さんは「お入りなさい」と駅長室に招いてくださり、秘蔵の写真などを見せてくださいました。
駅長室の更に奥にもうひとつ部屋があるのだと見せてくれたのは、宿直室でした。今でこそ物置代わりのようですが、小さな流しも付いたたたみの部屋がありました。正面から見た曲家の部分、そこがかつての宿直室だったのです。
古い昔ながらの木造駅舎も、駅長さんの丹精で美しい姿を留めることができるのですね。
2008年8月26日(火)