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小倉駅で一息つき、本日の旅の仕切りなおしです。
小倉駅から鹿児島本線に乗って、その日の最初の目的地、折尾駅で降りました。
折尾駅には、九州鉄道発祥の地、門司港駅と共に、ネオ・ルネッサンス様式の美しい駅舎があります。ロータリー向こう側に回り、正面から眺める駅舎は、確かに均整が取れて美しい姿をしています。
福岡県北九州市八幡西区に位置する折尾(おりお)駅は、1891(明治24)年2月28日に九州鉄道(初代)の駅として開業しています。立派な本駅舎の他に、鹿児島本線と福北ゆたか線を結ぶ短絡線上にも駅舎があり、通称「鷹見口」と呼ばれています。写真は鷹見口からの跨線橋から斜めに見た本屋の姿です。
入口から駅舎の中に入ると、待合室があります。待合室の真中には立派な大黒柱があります。扉を挟んだ反対側にももう一本同じような柱があって、そちらは柱の周りをベンチが囲むような形になっています。
高い天井を持つ待合室は、黒光りする柱に支えられて凛とした姿を見せています。
折尾駅は、鹿児島本線と筑豊本線の二大幹線が交わる駅で、日本初の立体交差駅です。
東口(正面)改札を入ってすぐの地上ホームは筑豊本線が、その上をまたぐ形で鹿児島本線が発着しています。改札を入ってすぐの1番線(筑豊本線)のホームから階段を上ると、階段と垂直にホームが現れます。これが3番線、鹿児島本線のホームです。3番線のホームの階段を下ると、右側にこのような美しいレンガ造りの通路が現れます。この通路を抜けて階段を上ると、鹿児島本線の4番線に出るのです。また左側を少し行くと、西口の改札口と、筑豊本線の2番線のホームに出ます。
実際には1番線から4番線に直接行かれる通路もあるし、エレベーターもあるようで、乗り換えがものすごく大変なわけではないかもしれませんが、初めての訪問者にとっては迷路のようで、それが逆に楽しくもありました。知恵を結集して作られたであろうこの美しい駅舎も、バリアフリーを望む声を受けて、近く改築されるそうです。
東口の改札を入ってすぐ、主に筑豊本線の若松線が発着する、1番線のホームにやってきました。
木製の上屋の下を、木枠の窓、板張りの塀など眺めながらゆっくりと歩いてゆくと、板張りの塀にひっそりと張り付いた駅名標を見つけました。
濃紺のホーロー引きの駅名標は、たった3文字のひらがながなんとなくかわいい感じを出していました。
ホーローの駅名標を過ぎ、上屋が終わろうとする少し前、突然こんな看板が現れます。なんで駅のホームのこんなところに「理容」なの?と不思議に思いつつ写真を撮りました。
後で調べたところによると、どうもこの奥に本当に理容室があるらしいのです。そういえば看板はホームに対して直角に掲げられていて、看板の手前には直角に入る通路があったような。現在は営業しているかどうかも定かではありません。もしかしたら職員専用の床屋さんかも(でもよくわかりません)。
ときどきホームで見かける1000円カット、その元祖かもしれませんね。
4番線、鹿児島本線のホームに設置された駅名標です。国鉄型の駅名標は全体的に錆が出ていますが、開業の遅い(2000年開業)「じんのはる」の部分は後から書き直されたのでしょう、そこだけがきれいなままです。
いつまでいても飽きない折尾駅を後にして、筑豊本線に乗り込みました。折尾駅から五つ目、筑前植木駅で降ります。
福岡県直方市に位置する筑前植木(ちくぜんうえき)駅は、1893(明治26)年12月20日、植木駅として開業、1897(明治30)年10月1日に筑前植木駅と改称されています。
美しい瓦屋根、立派な回廊、押縁下見板張りの腰壁とハーフティンバーの壁、比較的最近リニューアルされた駅のようですが、木造駅舎の美しさをよく残してくれています。
屋根にぐっと近づいてみると、付け庇の小さな鬼瓦には、「植」の字が見えます。ありきたりでない駅名板と同様に、リニューアルに携わった人々の心意気を感じます。
改札を入って、ホーム側から駅舎を見てみます。駅舎はホームよりも一段低くなっていて、石段を何段か降りるようになっています。
木枠(風、実はアルミサッシ)の窓、押縁下見板張りの腰壁、ハーフティンバーの壁、腰壁に張り付いた木のベンチ、行灯型の駅名標、全てがバランスよく美しい姿です。
改札前に突っ立っているビニールを巻かれた不細工なものは、近々導入のためにスタンバイされたICカード読み取り機のようです。
筑前植木駅の待合室です。ベンチも壁も窓枠も、ふんだんに木材が使われていて、とても温かい感じがします。床もコンクリートの打ちっぱなしではなく、石が敷かれています。
駅には業務委託の駅長さんがおられ、駅を管理されています。とてもきさくな駅長さんで、あちこちにレンズを向けて写真を撮る私に、「どちらから?」と声をかけてくださいました。
ホームに設置された駅名標は国鉄型のシンプルなものです。古いものを大事に使う、そんな人々の思いが伝わってくるような気がします。
約1時間ほど筑前植木駅を散策し、また乗車。二つ先の直方駅で降ります。
直方駅の駅名板とファサードです。時計台のあるファサードは柱も形も凝った造りの立派なものです。
福岡県直方市に位置する直方(のうがた)駅は、1891(明治24)年8月30日に開業しています。
明治時代に建築された木造駅舎は、初代博多駅を移築したものと伝えられていますが、事の真相は不明のようです。昭和62年にリニューアルされていますが、明治の香りをよく残してくれています。
駅前のロータリーは広く、タクシーやバスの往来も頻繁で、にぎやかです。
立派な駅舎は遠く離れないと全景の撮影ができないのですが、ちょうど駅前のモニュメントでファサードを覆い隠してしまうのが残念といえば残念です。
駅舎前の庇からファサードに向けてレンズを向けました。
ファサードの屋根は古代ギリシャ建築、エンタシス風の柱が支えています。また、庇を支える柱の意匠もなかなか美しいものです。
待合室の風景です。高い天井の待合室に、ゆったりとベンチが並べられています。
入口側にあるのはパン屋さんで、いい香りがしていました。キオスクの売店も健在です。キオスクの先、改札側には駅そばがあり、名物のかしわうどんが食べられます。今から思えば、食べてくればよかったなと残念に思います。
ホームに設置された駅名標です。JR九州の標準的なデザインの吊型、行灯型駅名標です。
明治時代の香りを色濃く残す立派な直方駅にも、駅前整備計画に伴って建て替え案が浮上しているとか。
かつて、筑豊炭田で採掘された石炭を運ぶ中継駅として栄えた直方駅は、石炭産業の栄枯盛衰をずっと見てきただけに、地元の人々から解体を惜しむ声が上がっているそうです。
直方駅を出たのは16時近く。予定ではそのまま新飯塚駅に出て後藤寺線に乗り継ぎ、日田彦山線に乗っていくつかの駅を見て小倉に戻るはずでした。しかし、列車のトラブルで出発が3時間も遅れていたのと疲れも出てきたのとで、直方駅から引き返して小倉に戻るつもりでいました。しかし、直方駅から4つ目に停車した筑前垣生駅を見たとき、ここで降りなくちゃと思ったのでした。
そんなわけで、急遽の途中下車を決めた筑前垣生駅です。
美しい木造建築の筑前垣生(ちくぜんはぶ)駅は、福岡県中間市に位置しています。1935(昭和10)年4月26日の開業で、比較的歴史の浅い駅です。
駅舎は最近リニューアルされたばかりのようで、きれいな木造建築です。
駅舎正面入口に掲げられた駅名板は、市長さんだかの揮毫によるとどこかに書かれていたような気がしますが、うろ覚えです。
駅前、入口脇には丸ポストも置かれています。
押縁下見板張りの腰壁とハーフティンバーの壁、木製の枠がはめられたサッシと、木造にこだわって造ったんだなぁと思え、その心意気を嬉しく思いました。
入口入って左側、待合室の様子です。壁こそは新建材のようですが、ベンチもカウンターも木製です。木の枠から差し込む光が、木のベンチに柔らかな影を作っています。
筑前垣生駅は、昭和62年4月に改築されたそうです。待合室の壁に、こんなプレートがかかっていました。これが建物財産標と呼べるかどうかはわかりませんが。
待合室を出て改札を入ったところに、ホーロー引きの駅名標が設置されています。深い藍色に楷書で書かれた駅名標は所々の傷もそのままで、新しい駅舎にも開業当時の風を運んでくるようです。
ここにもまた、古きよき時代を大事にする気持ちが伝わってきます。
ホームに設置された駅名標はJR九州型のよく見る駅名標です。トレードマークはありません。
美しく保たれた駅舎からは地域の方々によって大切にされる様が思い浮かびます。何かに引き付けられるようにして降りた突然の途中下車、正解だったなと思います。
さてさて時間は頃合いの17時近く。そろそろ小倉に戻ってホテルにチェックインです。いろいろなことがおきた旅の初日の疲れを癒そうと思います。夕食は駅の南口に出て、軽く済ませることにしました。小倉駅の南口の駅名板はライトアップされて美しいものでした。カメラを持って出なかったのが悔やまれます。
石炭産業で賑わった筑豊本線、その証が立派な駅舎の折尾駅や直方駅でしょうか。たしか、かつての新飯塚駅も美しかったはず。
折尾駅で大きなかばんを持ってあちこちを歩き回りながら写真を撮る私に、「荷物預かりましょうか」と声をかけてくれたお弁当売りの女性に感謝しつつ、明日の旅に備えます。
2008年8月25日(月)