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鳥栖駅で途中下車したのは、鳥栖駅から熊本駅の間にも魅力的な駅がたくさんあることに気付いたからです。
かつて、はやぶさ号が、廃止されてしまったさくら号と併結されていた頃、長崎へ行くさくら号と切り離しをおこなったのが、ここ、鳥栖駅です。
古くからの歴史があり、またターミナル駅でもある鳥栖駅は、ホームも立派だし、列車の往来も頻繁でした。
佐賀県鳥栖市に位置する鳥栖(とす)駅は、鳥栖市の代表駅です。1889(明治22)年開業のこの駅には、1911(明治44)年改築の、立派な木造駅舎があります。
長崎本線との分岐駅に当たる鳥栖駅は、かつて鳥栖操車場や鳥栖機関区などがあり、鉄道の街として栄えていました。
近年ではかつての機関区の跡地にサッカー場(鳥栖スタジアム)が建設されています。屋根の後ろ側に見えるT字型の鉄塔が、スタジアムの照明設備です。
正面からファサードを見てみましょう。三角屋根の真ん中には時計があり、その下には凝ったつくりの意匠があります。正面左側の赤い駅名板は、古風な作りの中にあっては近代的で、目を引きます。
長い列車旅の末に降り立ったこの地は、さすがに九州だけあって厳しい暑さでした。駅舎を出たとき、最初に迎えてくれたせみたちは、しゃわしゃわと鳴き、ジージーと暑苦しい関東地方の蝉の声になれている私の耳には、とてもすがすがしいものでした。
しばらく駅前をうろうろして、ホームに戻ります。
九州でも重要な位置を占める鳥栖駅は、島式3面6線をもつ立派なホームです。次の下車駅を目指して八代行きの赤い(でも側面はシルバー)電車に乗り込みました。
あとで聞いたことですが、左の端っこにわずかに見える立ち食いそば屋さんの、かしわうどんがうまいのだとか。もっと早くその情報をキャッチしていれば、とちょっと残念でなりませんでした。
ワンマンカーの電車に乗って約50分。鳥栖駅から11個目の銀水駅に着きました。
ホームに降り立って、目に入った駅舎の姿は、それはすばらしいものでした。
ホームは島式対向式の2面3線。2005年10月のダイヤ改正以前は、八代・熊本からの列車はこの銀水駅で折り返していたとかで、それなりに立派なホームです。
福岡県大牟田市に位置する銀水(ぎんすい)駅は、1926(大正15)年に開業しています。
駅舎全景を駅前広場から眺めてみます。駅舎全体を覆う下見板張りの壁と縦羽目板張りの腰壁、そして三角屋根のファサードが、なんともいえないいい感じを持っています。
三角屋根のファサードに掲げられた駅名板を見上げてみます。
窓こそは無機質なアルミサッシですが、板張りの壁は丁寧に張り替えて、大切に使っている印象を受けます。
背筋をピンと伸ばして、ホームの様子を見つめる委託の駅員さんのりんとした姿が印象的でした。
30分ほど銀水駅に佇んだ後、次の目的地を目指します。
列車は前面は黒、側面はシルバーの、九州地方でよく見る形の817系電車です。この列車は、味気ない外観に反して内装が凝っていて、木製の枠に黒いレザー張りのクッションをあつらえた、オール転換クロスシートになっています。
銀水駅から8分、次の次の荒尾駅で降りることにします。
隣のホーム越しに見える駅舎は、ホームとの間に駐車場があり、ホームからかなり離れているようです。一部の特急列車も停車するこの駅は、島式ホーム2面4線と、多数の留置線を有し、ホームはなかなか立派なものです。
熊本県荒尾市に位置する荒尾(あらお)駅は、1912(大正元)年に、国鉄の万田駅として開業し、1943(昭和18)年に荒尾駅と改称しています。
現在の駅舎は1945(昭和20)年に改築された、2代目駅舎です。
背の高い平屋建てで、駅名板を掲げた三角屋根のファサードがとてもすっきりと見えます。背が高い分ファサードの柱も長く、四角いどっしりとした柱を支える石積みの土台がとてもいい感じに見えます。
駅舎を左斜めから見てみます。駅舎前にはきれいに手入れをされた植え込みがあり、また、石積みの土台の前にさりげなく置かれた植木鉢が、駅に携わる方々の心を写しているようで、暖かな気持ちになります。
そういえばホームから駅舎までの長い通路には、いくつもの風鈴が風に揺れて、涼しげな音を出していました。
荒尾駅で1時間ほど過ごし、電車に乗ってまた降ります。
列車が出て行ったホームから、反対側を見ると、縦羽目板張りにハーフティンバーのいい感じの建物が目に入ります。
荒尾駅から3つ目、大野下駅です。
熊本県玉名市に位置する大野下(おおのしも)駅は、1928(昭和3)年、鉄道省によって開業されています。これまでの駅に比べると、若干新しいのでしょうか。
駅舎を正面から眺めて見ます。駅舎の半分近くを覆う、大きな木が印象的です。下見板張り、縦羽目板張りに覆われた木造駅舎は、開業当時の姿のようですが、腰壁部分の板は新しく、丁寧に手入れをされている様子が伺えます。
駅前は広いのですが、特になにもなく、放置された自転車の姿が目立ちます。
三角屋根を乗せたファサードを眺めてみましょう。
屋根のてっぺんにはかつては鬼瓦が乗っていたのでしょうか、ここだけが白いままです。
プラスティックの黒い板に白い文字を浮かび上がらせたこの形の駅名板は、九州の駅でよく見かける形です。
白い壁の真ん中の黒い駅名板と、改札越しに見える緑、そして灰色の甍、更に真っ赤な自動販売機、すべてがさりげなくうまいぐあいにマッチしてるのがいいなぁと思います。
ファサードから駅舎に入り、待合室の中をぐるりと眺めます。
待合室の柱にはこんなパネルが貼ってあります。天井にその跡が残るそうですが、残念ながらよくわかりませんでした。
この場所で、時代の様々な場面に淡々と立ち会ってきた、それが駅舎なんだと思ったのでした。
大野下駅では約30分を過ごし、また列車に乗り込んで次の次の駅で降ります。
さっき降りた大野下駅とよく似たたたずまいのこの駅は、肥後伊倉駅です。
熊本県玉名市に位置する肥後伊倉(ひごいくら)駅は、1935(昭和10)年、鉄道省によって開業されています。開業当時は現在よりも熊本寄りに駅舎本屋があり、現在の駅舎は2代目だそうです。
縦羽目板張りの腰壁と下見板張りの壁、窓周りの白い漆喰と灰色の甍、先ほどの大野下駅とよく似たつくりをしています。
少し離れたところから駅舎を眺めてみましょう。
駅前には花壇があり、お花が咲いています。しかし、お花は一応咲いてはいるものの、手入れが行き届いているとは言いがたい状況のように見えます。駅前の放置自転車も多く(夏休みだからでしょうか)、ちょっと荒れてるかなという印象でした。
ファサードに掲げられた駅名板をみてみましょう。
大野下駅や銀水駅の三角屋根とはちがって平らな屋根ですが、駅名板の材質や形などは同じです。
改札越しにはうまい具合にホームの駅名標がはいりました。
肥後伊倉駅でも30分ほど過ごした後、また列車に乗り、7つ目で降りました。はやぶさ号での当初の目的地、熊本駅です。
さすがに熊本県の県庁所在地、熊本市の代表駅だけあって、立派な駅舎があります。
1891(明治24)年、九州鉄道により開業された熊本駅は、寝台特急をはじめ多くの特急列車の発着があるため、立派なホームを持っていますが、現在は九州新幹線の開通工事と在来線の高架化工事が行われており、ホームもざわざわした感じがしました。
夕方まだ日のあるうちに駅前のホテルにチェックインを済ませ、昨夕からの疲れを落とします。
ホテルの窓から見た夜の駅前の様子です。2両編成の路面電車も見えます。
駅前にはそこそこの商業施設もあるようですが、熊本県の代表駅としては少し寂しい感じ。ホテルのフロントのかたが言うには、熊本駅前は繁華街からは若干はずれるそうで、路面電車に乗って数分行ったところににぎやかなところがあるのだとか。おいしいものよりもゆっくり休むことの方が勝って、夕食は近くで簡単に済ませたのでした。
当初の計画にはなかった「鳥栖駅途中下車」、いくつかの駅に降りてみれば、そこには思いがけずの趣のある駅舎があって、急遽の針路変更は正しかったと実感したのでした。
まわりを気にする必要のない、行き当たりばったりの行動も、一人旅の醍醐味です。
2007年8月6日(月)