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ゴールデンウィークもちょうど中日の5月3日、スカ色電車に会いに行こうと思います。
昔横須賀線を走っていた列車のトレードマーク、ブルーとベージュのツートンカラーを、横須賀線からは引退してしまった今でも「ヨコスカ色」、略して「スカ色」と呼んでいます。
113系のスカ色電車の宝庫といえば千葉県です。房総半島をぐるっと回る内房・外房線と、内陸から銚子のはずれに出る総武本線との間にたった5駅の東金線があります。今日はそれに乗ろうと思います。
東京駅から京葉線に乗って到着した蘇我駅に、成東行きの赤い方向幕をつけた、スカ色電車が停まっていました。
蘇我駅で乗ったのは、東金線直通の成東行き。しかし、東金線の分岐駅の大網(おおあみ)駅で一度降りることにしました。
大網駅は高架になった線路上にある橋上駅で、駅舎は線路の下にあります。こちらは外房線のホームで、これから乗る東金線は、写真左側、蘇我方面で分岐しています。写真は駅前広場なのですが、ちょうど分岐した外房線と東金線にはさまれる形で、三角形をしています。
大網駅で降りて、その周辺を少し歩いてみようかなと思います。
外房線と分岐した東金線の線路に沿ってしばらく歩くと、踏切があります。しばらくそこに佇んでいると、やがて成東方面から、外房線直通の千葉行きの列車がやってきました。
赤い方向幕をつけた、青いスカ色列車の後ろ姿です。
踏切から線路沿いをしばらく成東方面に歩いて行くと、道端に突然腕木式信号機があらわれます。そこは小さな児童公園になっていて、説明書きの看板が立っています。
その昔、外房線が大網から一宮まで開通したとき(1893(明治26)年)、大網と隣の土気(とけ)との間は勾配がきつく、スイッチバックでそれを乗り切っていました。 その後、1911(明治44)年に東金−成東間が開通すると、千葉から外房方面への貨物は、その最難関を回避するため、千葉から総武線経由で、佐倉、成東を通り、東金、大網、外房というルートを通りました。 やがて、スイッチバックで難所を越えた旅客専用の外房線も、1972(昭和47)年に外房線の大網駅を移転することでまっすぐに進むことができるようになったのだそうです。
児童公園は旧大網駅の跡地で、腕木式信号機は、明治時代から使われている手動式の信号機だそうです。
1972(昭和47)年に駅を移転したとき、成東方面からの貨物輸送のため、新しい大網駅を通らず、そのまま外房線へ抜ける旧線は貨物専用の短絡線として残されたのですが、これも1997(平成9)年12月に廃止されました。
東金線から外房線側に延びたこの引込み線は、その跡です。 この引き込み線がかつては外房線の茂原、勝浦方面に向かっていたのです。
大網駅を出て最初の踏切、金谷踏切。ただ踏切の名前を記録するために、何気なく撮った写真ですが、実はこの先に東金線から外房線に続く線路の歴史があったのです。
金谷踏切から、線路沿いを歩こうと思ったけれど、まもなく切通しに阻まれ、進めなくなってしまいました。 線路両側の山を迂回すべく、進路を変えます。
こっちかな、とあたりをつけた方向にはニュータウンが広がり、あのこんもりとした山の向こうに線路があると思い歩き続けますが、なかなか線路は見えてきません。 いつのまにかニュータウンのはじっこまできてしまったようで、新しい町並みの中を走る整備された道は若干細くなり、少し坂になっていて、その先の見通しが悪くなります。 あの先かなぁと歩き続け、昇った坂を下りると、突然視界が開けました。
水面に写る周辺の緑の木々と、植えられたばかりの小さい緑の苗。 温かな日差しの中でうっすらと汗をかいた体に、水面からのさわやかな風が吹き、疲れは一気に吹き飛びました。
一面に広がる水田と、その先の緑の森。これこそ里山の風景かなと思いました。
次の駅まで歩こう、そう思って大網駅を出たのですが、行けども行けども線路は見えてきません。きれいなたんぼの風景も見たことだし、と諦めて大網駅に戻ることにしました。
やがて、東金線の成東行きのスカ色列車がやってきました。
東金線は大網を出ると、福俵(ふくたわら) → 東金(とうがね) → 求名(ぐみょう) → 成東(なるとう)と、4つの駅しまありません。
大網駅から2つ目、東金駅で降りることにしました。
寄棟造りの赤い瓦屋根と白い壁。洋館風の建物は、かなり古いもののようですが、何度かリフォームされているようです。
東金線の路線名にもなっている東金駅は、東金線の中心らしく、大きくてきれいな駅舎です。
東金駅からまた列車に乗って、求名を通り越して東金線の終着駅、成東駅にやってきました。
東金線の到着は0番線で、列車は全てここで折り返すので、行き止まりの頭端式のホームになっています。ホームをそのまままっすぐに歩くと、改札があります。改札を出て、駅舎を眺めてみます。総武線と東金線の分岐駅だけに、また、かつては貨物扱いの重要な駅であっただけに、大きくて立派な建物です。
「1945年8月13日 大東亜戦争による空襲にあい、駅に停車していた貨車に積まれていた弾薬に引火し、消火作業に当たったものの、爆発し、駅舎およびホームが全壊。駅員、将校42名が亡くなる。」という悲しい歴史を持つ駅でもあります。
駅舎はその後建てられたものですが、壁や内装などリフォームされていて、きれいです。
ピンクの瓦屋根に違和感を感じないでもないのですが、それも個性ということでしょうか。
総武線が入る1番線の千葉寄りから駅舎をみてみます。
こちらは総武線の1〜3番線で、駅舎の向こう側に東金線の0番線があります。
2,3番線には待合室もあり、広々とした感じがします。白い駅舎の手前側にある古い建物には赤字で「危険物」と書いてあり、危険物を格納するランプ小屋のようです。
成東駅はJR東日本が発行するホリデーパスの総武線の終点です。なので、ここから総武線に乗って、千葉に戻ることにします。
この後、1番線に入線してきた、黄色い方向幕の総武線千葉行きに乗り込みました。
東京の隣にありながら、少し奥に進むと田舎の風情があって、鉄道の開発にはちょっぴり取り残された感のある、千葉、房総方面。それが逆にスカ色電車を残し、古い駅舎を残して、よい味を出しているように思います。たまたま降りた駅にも様々な歴史があり、鉄道への興味は尽きません。
ゴールデンウイークのホリデーパスの旅は、ここで終了します。
2006年5月3日(水)