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江戸時代の蔵造の街がそのまま残り、「小江戸」と呼ばれている埼玉県の川越市。 そこを走る川越線に乗ろうと思います。
高麗川(こまがわ)と大宮(おおみや)を結ぶ川越線、どちらから行こうかなと考えたのですが、今回は湘南新宿ラインで大宮に出て、そこからひとつずつ高麗川まで下ってゆこうと思います。
大宮駅は、さいたま市の中心駅であると同時に、埼玉県内で最多の路線が集まるターミナル駅であり、また、国鉄大宮工場(現・大宮総合車両センター)があることから、鉄道の町といわれているだけに、駅舎も立派なビルです。
高崎線や宇都宮線などから少し離れて、地下に降りていったところに、川越線(埼京線)のホームがあります。
川越線はもともとは高麗川駅(埼玉県日高市)と大宮駅(埼玉県さいたま市)とを結ぶ路線だったのですが、埼京線が乗り入れた現在では、大宮−川越を埼京線、川越−高麗川を川越線と言っているようです。
大宮駅から乗ったのは、埼京線の205系列車。ついこの前、山手線から引退した205系も、ここではまだまだ元気です。
大宮駅の次、日進(にっしん)駅で降りてみます。
改札を出て、駅舎を眺めます。これといって凝った造りではないけれど、どっしりと落ち着いた安定感をかんじます。
駅前は少し狭いですが、商店街に繋がっていて、賑わいをみせており、常に人が往き来しています。
埼京線の一つ目、日進駅のこの駅舎、まず記憶してください。
日進駅からまたひとつ列車に乗って、次の指扇(さしおうぎ)駅で降ります。
ここでもまた、改札を出て、駅舎を眺めてみます。改札を出てしばらく歩き、後ろを振返ったとき、なんとも不思議な感覚にとらわれました。そうです。さっき見てきた日進駅の駅舎が、ここにもあるのです。
日進駅に比べると、駅前は広く、ロータリーになっていて、タクシーや車が頻繁に出入りをしています。
指扇駅の駅名標は、こんな風になっています。
駅名標の位置こそ違うけれど、まるい二つの通気孔とそれを囲む飾りは、日進駅と同じように思います。
指扇駅で不思議な感覚を持ちながら、またひとつ列車に乗って、隣の南古谷(みなみふるや)駅で降ります。
改札を出て駅舎を眺めるとやはり不思議な感じ。ここも日進駅、指扇駅と同じ形の駅舎なのです。
3駅とも、1940(昭和15)年開業当時の駅舎です。大宮を出てから川越までのこの3駅は、同じ形の兄弟駅舎なのです。
南古谷駅の駅名標です。
通気孔の穴の開き方や飾り、駅名標の位置など、微妙に違いはあるけれど、基本的には同じつくりのようです。
灰色の瓦屋根に白い壁。「蔵の街・川越」を意識して駅舎を作ったのかな、そんなふうにも思ったのですが、どれも開業当時からの形です。蔵の街を意識したのではなく、蔵造の技術が駅舎にも生きたのかもしれません。
南古谷駅からまたひとつ列車に乗って、お隣の川越(かわごえ)駅で降ります。
大宮から川越まで、三つの兄弟駅舎を挟んだ区間が「埼京線」にあたります。
振り向くとまた同じ駅舎・・・ということはさすがになく、こちらは立派なビルです。それもそのはず、今では大宮に次いで川越市は埼玉県内の第二の繁華街です。
コンコースでは路線バスのフリー切符なども売られていて、蔵の街、小江戸として、観光地の顔も見せています。
蔵の街、川越駅からは、正真正銘の川越線に入ります。
もともと大宮−高麗川を川越線というのですが、実際には川越駅で運用は分断されていて、川越駅では乗り換えが必要となります。 地元では、大宮−川越を川越線、川越−高麗川を高麗川線と言っていて、両者では車両も明らかに違っています。 少し前までうぐいす色の103系の宝庫でしたが、引退し、今はこの車両ががんばっています。 川越線、205系3000番台。 シルバーの車体には、気動車時代のオレンジと103系時代のうぐいす色のラインを持っています。
川越駅からまたひとつ列車に乗って、お隣、西川越駅で降ります。
駅舎、駅前広場とも、新しくきれいです。休日のせいか、閑散としていました。
ホームで高麗川方面行き列車を待っていると、高麗川方面側から川越行きの列車がやってきました。
京浜東北線などを走る列車と同じ、209系列車です。横から見た感じはあまり好きではない樹脂製の白い枠も、正面近くからみるとなんだかかわいい感じがします。
西川越駅からまたひとつ列車に乗って、お隣の的場(まとば)駅で降ります。
駅名は、駅近辺に川越藩の弓矢の練習場(的場)があったことに由来しています。 開業当時(1940(昭和15)年)からの駅舎ですが、オレンジの瓦屋根とベージュの壁の建物はよく手入れされていて、こじんまりとした民家のような趣があります。
ホームは島式、1面2線で、交換可能な駅です。島式のホームからは、高麗川方面行きの線路をはさんで改札口があり、駅舎があるのですが、線路をまたぐ跨線橋がないため、乗降客の人々は、構内に設置された踏切を渡って改札を出ることになります。
これもまた、古い鉄道の姿です。
的場駅からまた列車に乗って、お隣の笠幡(かさはた)駅で降ります。
改札を出て駅舎を眺めてみます。
グレーの瓦屋根に水色の壁、こちらもこじんまりとした民家の趣です。的場駅と同様に、開業当時からの駅舎ですが、壁の色を塗り替えたりなどのリフォームをしているのでしょう。入口左側、禁煙マークの下には、灰皿がおいてあったのでしょうか。塗り忘れた壁の色は、的場駅と同じ色でした。
笠幡駅からまた列車に乗って、お隣、武蔵高萩(むさしたかはぎ)駅で降ります。
現在の立派な橋上駅舎は、2005(平成17)年2月に改築されています。 開業当時からの旧駅舎は、都会から離れたローカル線にもかかわらず、貴賓室を持つ立派な駅舎でした。 なぜなら、かつて近くに日本陸軍の航空士官学校があり、その卒業式に臨席するために昭和天皇が利用したからです。旧駅舎には、一般の人々の入口の他に、皇室専用の車寄せと玄関があり、貴賓室や地下防空壕などが備わっていました。しかし、現在ではそれらは無用の長物となり、また老朽化が進んだこともあって、近代的な橋上駅舎に生まれ変わりました。
建替えに当っては、保存運動なども起こったそうですが、その望みはかなわなかったそうです。しかし、その由緒ある駅舎の面影を、かろうじて緑色の屋根瓦に残したのだと言います。
駅前広場も、そんな時代を懐かしむかのように、深い緑に包まれています。
改札を出て左側に折れ、階段を下りると、そこは旧駅舎があった「さくら口(南口)」です。
階段を下りた真正面に、トイレがあります。緑の瓦屋根や白い壁、これも旧駅舎を模したものかと思っていたのですが、これは正真正銘旧駅舎時代からのトイレだそうです。
武蔵高萩駅からまたひとつ列車に乗って、お隣、高麗川(こまがわ)駅にやってきました。ここが、川越線の終着駅です。
改札を抜けて見上げた駅舎は、こんな風に赤い屋根のかわいらしいものでした。梁の部分や窓の庇などの赤い色がアクセントになっています。
高麗川駅自体は、川越線と八高線との接続駅で、2面3線のホームを持つ大きな駅ですが、それを支える駅舎はこじんまりとしていてとてもかわいらしい姿をしています。
川越線と八高線との接続駅駅であり、また、八高線はここで電化されている八高南線と非電化の八高北線のそれぞれの終着駅になるため、ホームから見える留置線はとても広々としています。
ホームから高崎方面側の留置線では、非電化区間の八高北線を走る気動車、キハ110系列車が、次の出番に備えてはねを休めているところでした。
高麗川駅からは八高南線に乗って、八王子方面へ出ようと思います。結局川越線の駅ひとつひとつ全てを降りることになったので、少々の疲労を感じ、途中駅の金子(かねこ)駅で降りることにしました。
金子駅はこんなふうに、黒い瓦屋根と三角形のファサードがとても美しい駅舎でした。駅前は春の桜、それに続いてのつつじととても美しく、映画やテレビドラマのロケ地として利用されることがよくあるそうです。
深い緑に囲まれた木造駅舎は、周辺に住む人々の暖かいまなざしに守られているようでした。
詳しい下調べもなくふらっと出かけた川越線。蔵の街・川越をうたう観光地以外でも、人々の暮らしの中にしっとりと美しさがる路線、そんな風に思いました。
2006年6月10日(土)