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本屋さんで何気なく手に取った奥田英朗氏の「東京物語」。主人公の田村久雄君が青春時代を過ごした街として登場するのが、東京・御茶ノ水。
今日は久々に御茶ノ水へ行ってみようと思います。
東京駅ではお決まりのみかん電車。やはりここでも、まもなく姿を消すこの列車を記録します。 |
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もう何年も東京からさほど遠くないところに住んでいるのに、東京駅をゆっくりと見たことがなかったことに気付き、途中下車してゆっくりと眺めてみることにしました。
東京駅は、日本の鉄道の中央停車場として1914(大正3)年に開業しています。丸の内口の赤レンガのこの駅舎は、建築家の辰野金吾氏の設計によるものです。
第二次世界大戦での空襲によって、ドーム型の屋根と3階部分が焼失しましたが、1947(昭和22)年の修復工事を経て、現在の姿があります。
現在、元のドーム型の屋根に戻す計画が持ち上がっているようです。 |
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駅舎の北側、丸ビル側から眺めた様子です。
年を経たレンガの色や窓の周りの装飾など、それぞれに趣があります。
現在では、北口、中央口、南口、どこからも入退場可能ですが、開業当時は降車口と乗車口がはっきりとわかれていました。中央口を挟んで、南側が乗車口、北側が降車口です。
従って、こちらは旧降車口ということになります。 |
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丸ビル側から、東京駅に発着する中央快速線をみることができます。
かつて、2階にあった中央線の1,2番線は、新幹線の開業などに伴い、1995(平成7)年に3階に移転されています。その後、2階にあった旧1,2番線を3,4番線に、旧3,4番線を5,6番線に・・・、と各路線の乗場を丸の内側に少しずつずらして行きました。
そういうわけで、オレンジ色の中央快速は、空の上を走るのです。 |
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東京駅から2つ目、御茶ノ水駅に到着しました。
ホーム水道橋寄りの階段をトントンと上り外に出ると、御茶ノ水橋に出ます。
中央線に添うように流れているのが神田川。そして向こう側に見えるのが聖橋です。
神田川は運河の役目もあって、ときどき船も走ります。
聖橋の下側には、地下鉄丸の内線もかすかに見えました。 |
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やがて、オレンジ色の中央快速がゆっくりと入線してきました。
木々の緑、水面の青、そして列車のオレンジ。都会の中にあって、なかなかの色合いです。 |
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聖橋の下には、シルバーのステンレスにオレンジ色のラインの地下鉄丸の内線も走ってきました。
♪・・・
食べかけの檸檬、聖橋から放る。
快速電車の赤い色がそれとすれ違う。
♪・・・
食べかけの檸檬、聖橋から放る。
各駅停車の檸檬色がそれを噛み砕く。
さだまさしの「檸檬」が不意に聞こえてきたきがしました。 |
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道路を渡って、御茶ノ水橋から水道橋側を眺めてみました。
オレンジ色の電車は大きく左にカーブを切って、次の停車駅、四ッ谷駅を目指して行きました。 |
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御茶ノ水橋を渡り、駅の北側、本郷通りを神田川に沿って歩いてみました。往来の激しい道路の向こう側には、日本医科歯科大学や順天堂大学などのキャンパスが見えます。
神田川の向こう側、シルバーにカナリヤ色の帯を巻いた、中央線各駅停車が走ってゆきました。 |
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オレンジ色の快速電車も走ります。
カナリヤ色とオレンジ色、往き来は頻繁です。 |
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神田川越しに電車を眺めたあと、また御茶ノ水橋を渡り、駅に戻ってきました。
御茶ノ水駅水道橋口。コンクリートでできた、何の変哲も無い、駅舎です。 |
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駅を越え、しばらく行くと、明大通りにぶつかります。
道路を挟んで、明治大学、日本大学などのキャンパスが見えます。
明大通り越しに見える明治大学です。もう何十年も前、今にも崩れ落ちそうだった明治大学の校舎は、今ではすっかりきれいになってしまいました。
きれいだけれど、あの当時の大学としての重々しさは消えてしまったなと、ちょっぴり寂しさを感じたりもしました。
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周辺を大学のキャンパスに囲まれた御茶ノ水は、学生の街です。
学生には無くてはならない音楽。そんな彼らのために、楽器屋さんが並びます。
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出発が遅かったので、御茶ノ水に着いたときには午後2時を回っていました。湯島天神とか湯島聖堂とか、見所はたくさんあったけれど、アスファルトの照り返しの暑さに負けて、駅周辺をぶらぶらしただけで帰ってきました。
途中下車した立川駅で、国鉄色の183系列車に出会いました。方向幕は「快速大宮行き」でした。 |
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今回もまた、思い立って気まぐれに出かけた旅でした。
青春の街、御茶ノ水をぶらぶら歩くことで、ラジオの深夜放送を聴きながら、受験勉強をした、何十年も前のことを懐かしく思い出しました。大学の建物など、あの頃とは比べ物にならないくらい立派になっていたけれど、あの頃感じた学生街の息遣いはそのままだったように思います。
帰ってきて見上げた空は、我が青春時代の夏休みと替わらない青い空でした。 |
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2005年8月6日(土)
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