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港からほど近く、そこに門司港駅はあります。
1914(大正3)年2月1日、旧門司駅として開業しました。左右対称の建物は、ネオ・ルネッサンス様式の木造建築です。
開業は「九州鉄道・門司駅」としてでしたが、1907(明治40)年、国有鉄道となり、1914(大正3)年に現在の場所に移転、1942(昭和17年)に関門鉄道トンネル開通を機に「門司港駅」と改称されています。
現在はJR九州・鹿児島本線の始発駅として、また九州の鉄道の発祥の地として、大切な役目を担っています。
これが門司港駅の入り口の看板です。
緑青を吹いているかのような屋根に趣があります。
駅前には人力車も用意され、お客さんを待っていました。
旅行客を乗せ、名所を案内してくれます。
駅正面、入り口の様子です。
ベージュ色の木肌が、昔のままのような気がします。
正面右側に並んだ公衆電話ボックスです。
屋根の上が門司港駅の屋根を模しているのがなんだかユーモラスです。
正面入り口を入ってまっすぐ進むと、自動券売機がある、切符売り場です。
直角ではない壁が、とても優しく感じます。
切符売り場をそのまま左側に行ったところ、入り口入ってすぐ左側、「切符売場」と看板を掲げたここは、みどりの窓口です。
当時は一・二等待合室として使用されていました。
大正時代には、乗客の運賃によって「一等」「二等」「三等」に分かれ、待合室もそれによって分かれていたそうです。椅子などの調度品も、等級によって異なっていたのでしょう。
正面入り口入ってすぐ右側「紗舞館」と看板が掲げられているいのは「しゃぶしゃぶ」と読む喫茶室のようです。
当時は三等待合室として使用されていました。
「紗舞館」の先にあるのは「待合所」です。
当時、鉄道では旅行客に対して、手荷物の輸送を行っていたそうです。現在の航空機の「手荷物預かり」と同じ仕組みです。乗客駅で荷物の輸送を依頼し、到着駅で受け取ると言う仕組みで、それを「チッキ取扱所」と言ったそうです。当時の「チッキ取扱所」が、現在では待合所になっています。
ドアの感じ、ドアの上に彫られた模様など、大正時代の香りがしてきそうです。
自動券売機の先へ進むと、改札口があります。
左側は「払戻所」と看板が掲げられ、精算所をあらわすようです。
改札を入り、ホームに出ます。
ホームは1番・2番線ホームと、3番・4番線ホームとがあります。
写真は、改札入って右側の、3番・4番線ホームです。黒光りした屋根が、重厚な雰囲気を醸し出しています。
夏はとても涼しいのではないかな、そんなことを考えていました。
ホームの左側は引込み線になっていて、鹿児島本線の電車たちが留置されています。
シルバーにグリーンのラインの車輌、白にブルーのラインの車輌、シルバーの車体に前面とドアの部分が真っ赤な車輌。
白にブルーは「瀬戸内色の115系」かな、と思うけれど、それ以外はよくわかりません。
ゆっくりと黒光りのする屋根の下を歩いて、ホームの先頭、小倉方面側に立ちました。
そこから改札の方向をながめています。
上の位置から、今度は小倉方面を見ています。
線路は緩やかに右側にカーブを描き、玄界灘に沿って博多へ、内陸に向かって鳥栖、大牟田へ、有明海に沿って熊本、八代へ、そして九州の最南端の鹿児島へと向かいます。
3番・4番線ホームから、隣の1番・2番線ホームを眺めてみました。
九州の玄関口のホームは、長いなぁと思ったのでした。
小倉方面側からまたゆっくりと歩き、改札付近まで戻ってきました。
1番・2番線ホームと3番・4番線ホームの間に展示されている、「SL主同軸」です。
この位置から更に進み、改札を背にすると、九州鉄道の基点、「0マイル標」があるのですが、残念ながら見逃してしまいました。
3番・4番線ホームをゆっくり戻ってくると、隣の2番線から電車が発車するとアナウンスがありました。
多分鹿児島本線、でもあわただしく乗り込んだので、どこ行きだかもわかりませんでした。
後でゆっくりとガイドブックを見てみると、見落としていた場所がかなりあることに気づきました。「帰り水」「幸運の手水鉢」「貴賓室」などなどです。
まぁいいや、次回訪問時の宿題として、と、すっかりもう一度訪ねる気になっています。
2005年2月13日(日)