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初詣を兼ねて、幼い頃を過ごしたふるさと『大雄山線』を訪れました。
伊豆、箱根の玄関口である東海道線小田原駅より出ている、小さなローカル電車です。西武鉄道系列で、正確には『伊豆箱根鉄道・大雄山線』といいます。
小田原を出ると、緑町−井細田−五百羅漢−穴部−飯田岡−相模沼田−岩原−塚原−和田河原−富士フイルム前、と繋ぎ、終点の大雄山に到着します。
飯田岡と相模沼田の間で、電車は南足柄市に入って行きます。
大雄山には知る人ぞ知る『導了尊最乗寺』があります。天狗と大きな下駄で有名なお寺で、毎年初詣客で賑わいます。
また、市の名前があらわすとおり、足柄山の金太郎の出身地でもあり、終点の大雄山にはいたるところに『金太郎』がいます。
小田原駅に到着した、上り電車です。
ブルーを基調としたステンレスのこの車輌は、5000系と呼ばれています。全体の色、帯の入り方の違いで、何種類かあるようです。
導入されたのは1984年。昔のベージュとピンクの車体から一変したこの色味は、なんとも新鮮で、憧れと共に誇りでした。
小田原駅から二つ目、井細田(いさいだ)駅です。
駅員さんのいない無人駅のため、後部運転席から車掌さんが降りてきて、お客さんから切符を受け取っています。
三つ目、五百羅漢(ごひゃくらかん)駅です。
単線がすれ違う駅であるこの駅では、反対側の電車と待ち合わせをします。
昔はここでタブレット(私たちはこれを“わっか”と言っていました)交換が行われていましたが、今はそれもないようです。
五つ目の飯田岡(いいだおか)駅の手前の風景です。
刈り取りが終わり凍りついたたんぼには、稲の株がきれいにならびます。はるか向こうの山並みは、箱根の山々。
青い空にはぽっかりと白い雲が浮かびます。
六つ目の相模沼田(さがみぬまた)駅です。
ここはもう、南足柄市です。
ここでも小田原行きと大雄山行きがすれ違います。
七つ目の岩原(いわはら)駅です。
無人のこの駅でいったん降りることにしました。
岩原駅から下り方面に目をやると、さっき乗ってきた電車が、隣駅の塚原(つかはら)駅に停車しているのが見えます。
肉眼でも十分見えるほどの近さなのです。
電車は目の前の山に突進して行くかのように見えます。
岩原駅と塚原駅との間で撮影した姿です。
塚原から岩原に向かう、上り・小田原行きの電車です。
線路と併走するように、酒匂川の支流、狩川が流れています。川と線路は、塚原駅を出たところで交わり、また併走します。
川の上にかかった鉄橋を、ブルーの大雄山線が走ります。
塚原駅を出て、次の和田河原(わだがわら)駅まで、線路沿いを歩くことにしました。
岩原と塚原は肉眼でも見えるほど近いけれど、塚原と和田河原の間は結構距離があります。
進行方向左側には、シルエットのような富士山も見えました。
道はぬかるみのあぜ道のような道でした。
たんぼに囲まれた向こう側の線路を、大雄山線は走ります。
一面たんぼなので見通しは良いけれど、線路まで少し離れすぎているのがちょっと残念でした。
あぜ道から大雄山方面を見渡します。
ちょっと寒々とした冬のたんぼと、かすかに日の光を受けた山並み、その上にぽっかり浮かぶ雲の姿が、のどかな田園風景です。。
隣駅、和田河原駅ですれ違った電車が走ってきます。
中央少々右より、シルエットのように浮かび上がるのは富士山です。その右側のぽっこりとした山は、金時娘で有名な、金時山です。
あぜ道を歩くうちに、かなり線路に近づきました。
下り、大雄山行きの後姿です。
しかし、3時を回り、太陽も西側に傾きかけ、逆光になってしまいました。
塚原駅からゆっくりと30分ほどかけて、やっと和田河原駅に到着しました。線路は隣に見えているのに、駅にはなかなか近づかず、ちょっと苦労しました。
幼い頃の和田河原駅は、もうちょっとぼろかったよな、と、近代的なこの駅舎を見上げました。
でも、改札をくぐったその中は、昔のままでした。
大雄山まで行って、導了尊をお参りしようと考えていたのですが、日も暮れかかっていたのでここで断念。上り小田原行きに乗って戻ることにしました。
さっきは狩川のたもとから鉄橋に向けてカメラを構えました。今度は逆に鉄橋の上の電車の中から、狩川とその先の塚原橋にレンズを合わせます。日の落ちかけた西側に、雲が広がってきました。
電車はがたごとと20分ほど走って終点の小田原駅に到着しました。降りた電車はもう「下り・大雄山行き」に変わっています。
幼い頃、ぎしぎしと音をたてながら走っていたピンクの電車は、スマートなブルーの電車に変わりました。JRの路線網も整備され、ここはもう十分通勤圏内。沿線も大きく様変わりしているだろうと思っていました。しかし、穀倉地帯の広々としたたんぼとは違う、住宅地の中に広がるちょっと窮屈そうなたんぼと、周りを囲む美しい山並みは、幼い頃のままでした。もう少し、このままの姿でいて欲しい、そんな風に思うのでした。
小田原駅に降り立ち、改札を抜けて頭の上を見上げると、そこにはこんなに立派な看板がかかっていました。
今回の旅で、途中下車の駅に選んだ岩原駅、ここは何を隠そう、私が幼い頃を過ごしたふるさとの駅です。塚原から和田河原へのぬかるみのあぜ道を歩きながら、友は学校を目指して毎日ここを歩いたのかな、と思いました。小さな足にはさぞかし難儀なことだったろうに、と。
私の原風景、足柄の町、実はそこにはもう実家はないのです。そんなわけでもう何年もゆっくりと歩いたことがなかったのです。
様子は変わってしまっても、雰囲気はそのままに、原点が残っていることのありがたさを感じるのでした。
2005年1月2日(日)