《日豊本線・その3》
  
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亀川駅で約30分を過ごし、列車に乗って4つ先、東別府駅で降りました。
全国でも有数の温泉地、別府温泉を抱える別府市の代表駅、別府駅のお隣にひっそりと佇む東別府駅にも、立派な木造駅舎が残ります。開業当時からの木造駅舎は別府市有形文化財に指定されています。
駅舎は高いところにあり、崖の下を車道が通る形になっています。駅前は狭く、少し行くと崖、という感じで、正面の全景写真の撮影は困難です。車道からは駅舎右側に写る坂道を登ってきます。坂の途中には植え込みがあり、記念碑が建っています。
大分県別府市に位置する東別府(ひがしぺっぷ)駅は、1911(明治44)年11月1日、浜脇駅として開業、1934(昭和9)年4月15日、東別府駅と改称されています。
正面入口と、入口横に掲げられた駅名板です。灰色の瓦屋根、縦羽目板張りの腰壁とハーフティンバーの白い壁が、伝統的な美しさを見せています。
切符売り場の窓口と改札ラッチです。改札ラッチ、窓口のカウンター、窓の枠、どこも美しい木製です。
待合室のベンチの上には、こんなかわいらしいランプも。
和風建築の木造駅舎にあって、明治時代のモダンな感じがとてもおしゃれです。
正面入口脇に貼ってあった建物財産標です。明治44年7月16日、正真正銘、開業当時の駅舎です。
ホームに設置された駅名標はJR九州型です。トレードマークは、温泉に浸かるお猿さん、でしょうか。
文化財に指定されているだけあって、管理も行き届き、気持ちの良い駅舎でした。駅長さんもきさくな人で、カメラを持ってうろつく私に「いい写真撮れました?」と声を掛けてくださいました。
東別府駅でも30分ほど過ごし、また列車に乗ってお隣、西大分駅で降りました。
ここ、西大分駅にも古い木造駅舎が残るのですが、実は駅舎としての機能は果たしていないのです。ブルーの看板でも判るように、右半分はJR貨物の営業所になっています。駅名板のある左半分は、待合室としてベンチが置いてあるものの、切符売り場などの駅舎の機能はありません。
大分県大分市に位置する西大分(にしおおいた)駅は、1911(明治44)年11月1日に開業しています。立派な回廊の下の入口を入って、左側に鈎状に折れると、駅舎の妻部分に当たる場所に、ホームへの出入り口があります。以前はここに窓口があり、改札が行われていたのですが、今では改札機能の全てがホーム上のプレハブへと移ってしまいました。白い鉄製のゲートは、その当時のラッチの名残なのでしょうか。
正面入口の脇に建物財産標が貼ってあります。明治44年7月16日、こちらも開業当時のままの姿であることがわかります。
列車からホームに降りると、駅舎への跨線橋の手前にこんなプレハブの建物があります。ここが西大分駅の改札口ということになります。狭いながらも券売機などの全ての機能がつまり、駅員さんもおられます。
ホームに設置された駅名標です。トレードマークは別府湾でしょうか。
ホームの前は広い貨物ヤードになっていて、たくさんのコンテナが積まれています。トラックへの荷物の積み替えなど、自由自在に動き回るフォークリフトの姿が楽しくて、列車の待ち時間を飽きさせません。
西大分駅で約40分を過ごし、また列車に乗ります。列車はお隣の大分止まりなので、一旦そこで下車。時間はそのとき16時近く。今津駅でのミスもあって、既に1時間遅れているし、なんとなく疲れちゃったし、ここで切り上げようかなと思ったりもしたのですが、まだあたりは明るいしやっぱりなんだかもったいない気がして、その先に進むことにしました。
大分駅から7つ目、終点の幸崎駅で降りました。
予定ではここは単なる乗換えの駅、でも今は少し時間があるので、一旦外に出てみることにしました。改札から外に出ると、そこにはこんな風な赤い屋根のかわいらしい駅舎がありました。
入口脇のこの四角い出っ張りは、多分建物財産標。壁の塗り替えをするときに、いっしょに塗りこめてしまったのでしょう。
大分県大分市に位置する幸崎(こうざき)駅は、1914(大正3)年4月1日に開業しています。
跨線橋を渡り改札に到着すると、駅舎の壁に設置されたホーローの駅名標が目を引きます。濃紺の地色に白抜きの文字がとてもきれいです。しかも、漢字で書かれた駅名も、ちょっと珍しいのかも知れません。
ホームに設置された駅名標です。トレードマークは佐賀崎灯台とウミネコです。
ホームと駅舎とが少し離れているこの駅は、どのホームからも跨線橋を渡らないと改札口に出られない仕組みになっています。跨線橋の上り下りでつかれたとき、目に入った濃紺の駅名標は「おっ」という感じでした。しかも真っ先に「幸」の字が見えるのがいいですよね。
待合室のカウンターで時刻表をめくっていると、窓口の中から「どこまで行くの?」と声がかかりました。「下ノ江まで」と言うと、親切な駅員さんが即座に時刻を教えてくれました。
幸崎駅で20分を過ごし、教えてもらった列車に乗って2つ先の下ノ江駅で降りました。
無人駅の下ノ江駅にも古い木造駅舎が残ります。
島式のホームには跨線橋があって、改札を出るにはそれを渡らなくてはならないのに、それを利用する乗客がいないのにびっくりしました。そのままホームをまっすぐ進み、線路に下りて改札を抜けずに外へ出て行ってしまいます。運転手さんがホームで切符を受け取っていてその姿を見ているのですがとがめることもなく、黙認状態のようです。なんだかのんびりしてるよなぁ、と心が和みました。
大分県臼杵市に位置する下ノ江(したのえ)駅は、1915(大正4)年8月15日に開業しています。
写真は、ファサードの三角屋根に掲げられた駅名板です。
白い鉄板に黒い文字で書かれたシンプルな駅名板の茶色い錆は、長年の風雪に耐えた証のようです。
正面入口から改札を眺めた様子です。無人駅なので待合室の中は何もなくがらんとしています。もちろん窓口等もありませんが、清掃はきれいに行われていて、気持ちがよいです。
正面入り口脇には建物財産標が貼ってあります。でも、まったく判読不能です。
ホームに設置された駅名標です。トレードマークはありません。
無人で静寂に包まれた木造駅舎、砂利が敷かれたホーム、あっても意味のない跨線橋、どの光景も時間が止まってしまったのではないか、そんな錯覚に陥る、そんな不思議な駅でした。
下ノ江駅でも30分弱の時を過ごし、また列車に乗りました。到着したのは次の駅の熊崎駅。
ここにも古い木造駅舎が残ります。
駅前の、一段低くなったところから、植えられた木の緑越しに駅舎全景を撮ってみます。
窓はサッシに変わっていますが、壁は全面的に下見板張りです。中央に青い駅名板がありますが、最近場所を移動して新しくされたのでしょう。その右脇の、色の変わった壁の部分がその証です。
ホーム側から見た駅舎です。金属製のラッチの脇に、ブルーの地色の駅名標がかかります。その隣には木枠の窓、縦羽目板張り、下見板張り、ハーフティンバー、それらの壁は完璧です。
大分県臼杵市に位置する熊崎(くまさき)駅は、1920(大正9)年8月15日に開業しています。
ホーム側に貼られた建物財産標にも、大正9年8月15日と記されています。この駅も、正真正銘開業時からの駅舎なのです。
正面の駅名板も、駅舎ホーム側の駅名標も、新しくされているようですが、ホームの柱にはホーロー引きの駅名標が残っていました。くせのある楷書体が、古きよき時代を思わせてくれます。
予定ではまだ先に進むはずでした。しかし、17時を過ぎあたりはじんわりと暗くなってきました。お隣の上臼杵駅を残してここで時間切れ、宿泊地の大分駅まで戻ることにしました。今津駅でのミスで生じた1時間のロスが、ちょうど行かれなかった一駅分、ということになるでしょうか。
小倉を1番列車で出発して約12時間ちょっと。全部で14個の駅を訪問しました。どの駅も印象に残るすばらしい駅舎たちでした。14個の駅のうち、無人駅だったのは豊前長洲駅と下ノ江駅の二つだけ。それ以外はそれぞれに駅員さんがおられ、駅舎をきれいに管理されていました。どの駅員さんもおしなべてきさくで話し好き。これも南国九州の、明るいお国柄なのかなと思いました。
都会の駅の朝の風景ではほとんど聞こえてこない声、「おはようございます」がこんなにはっきり聞こえてきた駅、印象に残りました。
写真は大分駅のホームの駅名標。国鉄型の味わいある形、字体も橋上駅完成と共に消えてしまうのでしょうか。
2007年8月8日(水)