《日豊本線・その2》
  
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ちょっとしたミスで50分ほど遅れ、10時30分発の大分行きに乗り、4つ先の豊前長洲駅で降りました。
大分県宇佐市に位置する豊前長洲(ぶぜんながす)駅は、1911(明治44)年4月22日に開業しています。
無人駅のこの駅にも古い木造駅舎が残ります。
入口や窓など、アルミサッシに変えられたりしていますが、寄棟屋根の下の壁などは下見板張りのままです。
正面入口脇に掲げられた駅名板です。塗りがはげていたりで傷みが目立ちますが、ブルーの地色がさわやかです。
駅舎のホーム側に貼られた建物財産標には、明治44年4月21日の建物であると記されています。ということは、開業当時の駅舎だということです。
島式ホームとを結ぶ跨線橋の上から見た駅舎です。寄棟の屋根とぐるりと囲む広めの回廊が、とても立派な姿に見せています。屋根の補修をしたのでしょうか、所々の色違いの瓦が、モザイク模様のようです。
アルミサッシや待合室の内装など、随時手は入れているようですが、はがれ、竹で編まれた基礎がむき出しになってしまっている壁もあります。
無人駅なだけに、傷みも激しいのかも知れません。この駅舎も先が長くないなかなぁ、そんな風に思ったりもします。
ホーム側に設置された駅名標です。今津駅などと同じように、ブルーの地色のさわやかな駅名標です。これも多分、最近掛けられたのでしょう。
予定では豊前長洲駅で50分過ごし10時43分の大分行きの列車に乗るはずでした。しかしさっきのミスからそれはできなくなりました。それじゃぁ、と時刻表を見て呆然。その後何本もお隣の宇佐止まりが続いて、13時過ぎまでその先に行くことができないのです。その先にまだまだ見たい駅舎はたくさんあるのに、ここで3時間はもったいない、そう考えて再考の結果、とりあえず宇佐まで出る、宇佐なら特急があるからそれを使う、という結論に達しました。
開業当時の古い駅舎、歴史ある良い駅舎だけれど無人駅のせいか傷みも目だって哀愁も感じてしまう、そんな豊前長洲駅を約20分の超特急で見て廻って、11時4分の宇佐行きに飛び乗りました。
11時8分、計画では通過するはずの宇佐駅に到着しました。
まず、改札を出て、窓口に備え付けの大きな時刻表で、48分後の11時56分発の特急ソニック号が、次の目的地の杵築駅に停車することを確認し、窓口で特急券を買いました。これで先の見通しも立ったことだし、と安心して駅の探索を始めました。
特急の停まる駅だけに、鉄筋コンクリートの立派な駅舎があります。建物が全体的に赤いのは、駅から4キロほど離れたところにある宇佐神宮を意識した結果でしょうか。
大分県宇佐市に位置する宇佐(うさ)駅は、1909(明治42)年12月21日に開業しています。宇佐市のシンボルである宇佐神宮の最寄駅であるため、宇佐市の代表駅と位置づけられているのですが、実際には公官庁や商業地の中心地からははずれていて、静かなたたずまいを見せています。
ホームに設置された駅名標は、宇佐神宮の西大門を模しているのでしょうか、屋根をかぶったこんな形です。
宇佐駅から急遽の特急列車「ソニック号」に乗って15分、杵築駅に到着しました。予定よりも約1時間の遅れということになります。
杵築城の城下町であるある杵築市の代表駅は、入母屋屋根を持つ立派な和風建築です。
城下町への玄関口、ということで駅前も広く、植え込みなどもきれいに手入れがされています。後ろの緑と、瓦屋根がしっくりとマッチしています。しかし平日ということで観光客も少ないせいでしょうか、駅前は静かな感じでした。
大分県杵築市に位置する杵築(きつき)駅は、1911(明治44)年3月22日に開業しています。
ファサードに掲げられた駅名板は、一枚板に筆書きの、とても味わいのあるものです。また、三角屋根のてっぺんにのっかている鬼瓦は、亀と寿の文字をあしらった、とても縁起のよいものです。
古い城下町を意識した駅前には、レトロな丸ポストも設置されています。
後ろに見える押縁下見板張りの腰壁や、ハーフティンバーの壁なども、美しい姿を見せてくれています。
こちらはホーム側から見た出札口の様子です。木製ラッチの前には、「杵築城下町入口」の看板がかかり、冠木門をくぐって改札を出ると同時に城下町へ入れるようになっています。
駅舎自体は開業当時のもののようですが、丁寧に改装を重ね、城下町にこだわった美しい造りになっています。
ホームには、国鉄時代の古い駅名標が残ります。前後の駅名の間に所在地が書かれているのが特徴、でしょうか。どっしりとした鳥居型の姿と、太い文字に、安定感を感じます。
ホームの柱には、青いホーロー引きの駅名標もあります。鳥居型の駅名標の角のとれた丸みのある字体とは違い、流れるような楷書体です。
30分ほど杵築駅を探索し、次の列車に乗って4つ先の豊後豊岡駅に到着しました。
ここにも、三角屋根のファサードを持つ、こじんまりとした木造駅があります。
大分県速見郡日出町に位置する豊後豊岡(ぶんごとよおか)駅は、1911(明治44)年7月16日に頭成(かしらなり)駅として開業、1926(大正15)年8月1日、現在位置に移転後、豊後豊岡駅と改称されています。
入口上部に掲げられた駅名板は、紺地の板に白抜きの文字で、東中津駅同様、上品な感じがします。
改札口から見た待合室の様子です。待合室はこじんまりとしていますが、こざっぱりとしていて清潔な感じです。豊後豊岡駅の入口の引き戸も、美しい木の枠でした。
ホームに設置された駅名標はJR九州型です。真中のトレードマークは、ひらめ、でしょうか。そういえばホームのすぐ後ろに海が見えますね。
約30分、豊前豊岡駅で過ごし、次の列車に乗ってお隣の亀川駅に到着しました。
亀川駅にも曲家風の古い木造駅舎が残ります。乗用車に隠れてしまっていますが、曲家の前の植え込みがきれいです。乗降客もそこそこ多く、賑わっています。駅前も広く、駐車場に利用されているようです。
大分県別府市に位置する亀川(かめがわ)駅は、1911(明治44)年7月16日に開業しています。
ファサードに掲げられた駅名板は、シンプルな行灯型です。甍の波との重なり合いがきれいです。
入口正面、改札口と右側の切符売り場の窓口です。木の改札ラッチにぬくもりを感じます。
正面入口に貼られた建物財産標は、明治44年7月16日と記されています。つまり、大きく立派な木造駅舎は、開業当時の駅舎だということです。
駅舎のホーム側にも建物財産標が貼ってあります。ダクトに隠れるように貼ってあるこちらの財産標は駅舎本屋ではなく、ホームを覆う上屋(屋根)のもので、本屋よりはずいぶんと新しいもののようです。
ホームの柱に設置されているのは、白地に黒の行灯型です。夜になると温かい灯がともります。
ホームに設置された駅名標です。JR九州型の駅名標は、ペパーミントグリーンの枠に彩られています。トレードマークは名所案内にも書かれている、血の池地獄です。
この亀川駅、開業当時からの立派な木造駅舎ですが、老朽化が激しいのか、手狭になったのか、改築が検討されているそうです。地道に修理を重ねながら丁寧に管理されている様子がうかがえ、美しい木造の姿を見せてくれているだけに、残念な気がします。
2008年8月26日(火)