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秋も深まった11月。前回積み残した房総半島の駅舎めぐりの旅に出ました。
前回同様、朝6時前に自宅を出発、千葉駅から君津行き、君津駅から館山行きに乗って、目的地の青堀駅に到着しました。
内房線を走るのはいつものように、白砂青松のスカ色の113系列車。列車は青堀駅を出て、館山へ向かって行きました。
君津駅のお隣、青堀駅で先頭車両を降りて、ゆっくりとホームを歩いてゆきます。
ホームの千葉寄りには、待合室があります。壁は最近塗られたばかりなのか、きれいな水色ですが、小さな鬼瓦を乗せた灰色の瓦屋根はかなり年季が入っているようです。
千葉寄りの待合室のところでUターンをして、さっき通り越した跨線橋へと戻ります。
水色の跨線橋から見たホームは、島式1面2線。左手にはきれいな青紫色の駅舎の瓦屋根が見えます。
先に見える跨線橋は、駅舎側と反対側を繋ぐ、連絡通路です。
改札を出て、駅舎の全景を眺めてみます。
千葉県富津市に位置する青堀(あおほり)駅は、1915(大正4)年11月、国鉄木更津線の駅として開業しています。富津市では一番の乗降客数を誇る駅らしく、駅前のロータリーも広く、バスの発着なども多いようです。
おそらく開業当時のものではないかと思われる木造駅舎は、青紫色のきれいな屋根瓦を乗せ、きれいに手入れをされながら大切に使われているようです。
青堀駅からまた列車に乗って、お隣の大貫駅に降り立ちました。
大貫駅でも青堀駅と同じように、先頭列車から降り立って、ゆっくりとホームを歩いてみました。同じく、千葉寄りには水色に塗られた待合室があります。
水色の妻部分に掲げられた行き先表示板は、懐かしい青いホーロー引きでした。
待合室をぐるっと周り、また館山方面に引き返します。
ホームから見えた駅舎は、オレンジ色の瓦屋根に、白い木造の柱に支えられたトタンの付け庇。房総半島の定番駅舎の姿でした。
右手に駅舎を見ながら、館山方面までゆっくりと戻り、ホームと駅舎を繋ぐ水色の跨線橋を渡ります。
跨線橋から見たホームの姿は、島式1面2線。お隣の青堀駅と同じ形でした。
ホームの中央にある緑の丸い木と、その影の水色の待合室。そして、小さな曲り家風のオレンジの甍。すべてがとてもリズミカルに調和している、そんな風に感じました。
いよいよ改札を出て、駅舎の全景を眺めてみます。
千葉県富津市に位置するここ大貫(おおぬき)駅は、1915(大正4)年1月の開業です。
屋根を覆いつくさんばかりのこんもりとした大きな木が印象的なこの駅舎は、オレンジ色の瓦屋根を持つ寄棟の木造駅舎です。わずかに見える屋根の下の押縁下見板張りが歴史を感じさせてくれます。
大貫駅に常駐している案内係の方と少しの会話を楽しんだ後、やってきた下り列車に乗って、お隣の佐貫町駅に降り立ちました。
館山方面から上り列車がやってきて、この駅ですれ違います。先頭車両から降りると、白い壁に茶色の縁取りをされた待合室があります。
ホームの館山寄りからゆっくりとホームを歩き、ホームと駅舎を繋ぐ跨線橋にやってきました。跨線橋からホームの様子を見てみます。
ホームは島式1面2線。ホームは長く、線路はまっすぐです。そして、切り妻の赤い瓦屋根は、やっぱりリズミカルだなと思います。
改札を出て、駅舎の全景を眺めてみます。
千葉県富津市に位置する佐貫町(さぬきまち)駅は、1914(大正3)年1月に開業しています。
マザー牧場の最寄り駅ということで、駅前は広く、バスの発着もあるようです。赤い切妻の瓦屋根を持つ駅舎は、ポストの向こう側に下見板張りの壁を見せる、昔ながらの木造駅舎でした。
佐貫町駅での次の列車までの待ち時間は約1時間。そろそろ列車が来る頃かな、と跨線橋を渡り、ホームに出ました。跨線橋を降りる頃、向こうから列車がやってきました。いつものスカ色とは違い、10月から投入され始めた211系列車でした。スカ色じゃないのね、と思い1枚だけシャッターを切って、あわてて列車に乗り込んだものの、思っていた時間よりも少し早いみたいだし、なんだか変だなと思いながら車窓を眺めていて気がつきました。列車が大貫駅に戻っていることを。
しばらく考えて、やっとわかりました。佐貫町駅はこれまで降りた青堀、大貫駅とはまったく正反対のつくりであるということ。そういえば前の駅は先頭車両に乗ったら跨線橋近くに降りられたのに、佐貫町駅は待合室の近くでした。つまり、跨線橋を渡ってすぐに列車に飛び乗ってはいけなかったのです。おまけに初めて乗る211系の内房線の方向幕には行き先がありません。
ありゃりゃ、と思っても後の祭り。内房線での初めての211系列車体験ということで、ま、いっかなぁ・・・と思ったのでした。
大貫駅に戻ったあと、また館山行きの列車(佐貫町駅で乗るはずだった列車に大貫駅で乗ったので、時間的なロスにはなりませんでした)に乗って、佐貫町駅のお隣、上総湊駅にやってきました。先頭車両に乗って、降り立ったのは駅舎とは反対側で、佐貫町駅と同じ位置関係であることをまず頭に入れました。
館山側からゆっくりとホームを歩き、ホームから駅舎を眺めます。
黒い瓦屋根に、古さをよく残しています。
駅舎を横目に見て、ぶらぶらと跨線橋の方へ歩いていて、「おっ」と思い、思わず足を止めました。
黒い瓦屋根の下の押縁下見板張りの壁には、青いホーロー引きの駅名票があるではありませんか。若干錆びも出てきた青い看板は、木造の壁にきっちりと収まっていました。
ホーローの駅名票を見ながら、なおもゆっくりと千葉側に歩き、ホームと駅舎を繋ぐ跨線橋を渡ります。
跨線橋から見えるホームは、島式1面2線。もう見慣れた房総半島の駅の姿です。
古めかしい黒い瓦屋根と、新し目の赤いかわらの付け庇が、またまたリズミカルな感じを演出しています。
ここでも改札を出て、駅舎の全景を眺めて見ます。
千葉県富津市に位置する、上総湊(かずさみなと)駅は、1914(大正3)年1月に開業しています。
正面こそ新建材に覆われていますが、古い木造駅舎の貫禄十分です。
上総湊駅で1時間強の時間を過ごし、また下り列車に乗り込みます。
進行方向右側に海を見ながら、お隣の竹丘駅を通過して、その隣の浜金谷駅にやってきました。
浜金谷駅で降りたスカ色列車は、館山方面に出てゆきました。
これまでの駅と同じように、ホームをゆっくりと歩いて、改札を抜けました。
千葉県富津市に位置する浜金谷(はまかなや)駅は、1916(大正5)年10月に開業しています。
駅から徒歩6分ほどのところにある金谷港は、東京湾フェリーで35分ほどで久里浜と結ばれています。また、鋸山などの観光名所もあり、休日には観光客でにぎわいます。
駅舎は黒い瓦屋根を持つ古い木造駅舎でしたが、最近白い壁に水色の屋根という明るい駅舎に改装されたようです。
正面に掲げられた凝ったつくりの駅名板は、鋸山にちなんで鋸をイメージしているでしょうか。
駅舎を出て、千葉方面に戻るように線路沿いをしばらく歩くと、レンガ造りのトンネルがあります。ここから出てくるスカ色電車、撮りたいなぁと思いました。
線路の傍らで待つこと約20分。とうとうスカ色電車が出てきました。
しかし、満を持して待っていたつもりだったのに、そして、多分その頃にはホームからのアナウンスも聞こえてくるだろうと思っていたのに、やつは意外と静かにトンネルを出てきました。
本当はトンネルから顔を出したばかりのところを捕らえたかったのに、気づいたときにはとき既に遅く。
失敗作に近い一枚ですが、記念くらいにはなるでしょうか。
そうして乗るはずだった館山行きのスカ色電車を目の前で見送って、最後の一枚。
こちらも駄作ですが、記念に載せておきます。
夕方も近くなった午後4時近く、後続の安房鴨川行きに乗って、お隣の保田駅にやってきました。
保田駅も浜金谷駅と同じように、白い壁にきれいな水色の瓦屋根を乗せて改装されたようです。それでもホームを歩いて駅舎に向かう途中には、こんなふうに青いホーロー引きの駅名板が残っていました。
白、水色、濃紺と、美しいコントラストです。
ホーム側のホーロー引きの看板を見ながら、改札を出てみます。
千葉県安房郡鋸南町に位置する保田(ほた)駅は、1917(大正6)年8月に開業しています。
日の落ちかけた晩秋の午後4時、駅舎は黄金色に輝いています。すいせん畑が点在する保田駅の駅名板には、すいせんの花が掘り込まれていました。
早朝6時に出発した房総半島の駅舎を訪ねる旅は、今回も6駅でお開きとなりました。
どの駅も同じ時期に開業している房総半島の駅舎たちは、少しずつ姿かたちが違っても、基本的には同じ規格の兄弟駅舎たちです。浜金谷駅や保田駅に見るように、開業当時の古い木造駅舎は、徐々に新建材の建物に改装されていく運命なのかも知れません。それでもすべてを新しくしてしまうのではなく、その中に開業当時の面影をひとつでも残してくれることに、駅舎たちへの愛情を感じます。少しずつ手を入れながら、大切に使ってゆくという姿、すばらしいものだと思います。
房総半島の駅舎めぐり、今回も時間切れとなりました。続きはまた今度にします。
2006年11月4日(土)