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一日分だけ残った青春18きっぷを使って、房総半島の駅舎を見に行こうと思います。
総武快速線で千葉駅に出て、そこから青い方向幕の内房線に乗って、房総半島を攻めて行きます。
千葉駅に停車中の内房線、君津行きと、中央・総武緩行線です。 |
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内房線は、千葉駅を出ると、ビルの姿も減って、田園風景が広がってきます。そんな風景を眺めながら、千葉駅から8つ目、袖ヶ浦(そでがうら)駅に降り立ちました。
千葉県袖ヶ浦市の中心駅で、1912(大正元)年、「楢葉(ならは)駅」として開業し、1974(昭和49)年に「袖ヶ浦」と改称されています。
近くには海浜公園などもあり、そこそこの乗降客のある駅ですが、駅舎は昔ながらの姿をとどめているようです。 |
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袖ヶ浦駅を出て、お隣の巌根(いわね)駅で降ります。
千葉県木更津市に位置しています。駅舎は1941(昭和16)年開業以来の古い木造駅舎です。
車寄せ部分に大きくせり出した庇が印象的であり、また、幾重にも重なった屋根がとても美しいと思います。
時刻は朝9時。ちょうど逆光になってしまい、暗い写真になってしまったのが残念です。
木更津市の中心駅、木更津駅の手前で目立たない存在ではあるけれど、近くには潮干狩りができる海岸もあるようで、シーズン中にはシャトルバスなどの発着もあり、観光地としての準備もできているようです。 |
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巖根駅にやってきたのはうまい具合に館山行きの列車でした。列車は木更津(きさらづ)→君津(きみつ)と過ぎて、その次の青堀(あおほり)駅で特急通過待ちのため、しばらく停車しました。
今回は内房線でもなるべくさっきぽに近いところを見ようと思っていたので、青堀駅での下車は考えていなかったのですが、停車時間中に列車を降りてホームに出てみると、きれいな青紫色の屋根瓦が見えました。ホームから見た青堀駅の駅舎の姿です。 |
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巌根駅から約1時間20分。列車は終点の館山(たてやま)駅に到着しました。
次の下り列車まで、少し時間もあるようなので、改札の外に出てみます。
1919(大正8)年、安房北条駅として開業し、1946(昭和21)年、館山駅と改称されています。
さすがに房総半島の観光の要の駅らしく、新しく立派な駅舎です。南欧をイメージしたのでしょうか、白い壁とオレンジ色の瓦屋根がとてもきれいです。 |
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館山駅で少し休憩し、また下り安房鴨川行きに乗ります。
館山駅のすぐお隣、九重(ここのえ)駅にやってきました。
まるみを帯びたスカ色電車のむこうに、少しだけ駅舎が見えています。
対向式2面2線をもつホームには、ホームと駅舎を繋ぐ跨線橋がなく、踏み切りで繋がっているため、とてもすっきりとしています。
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千葉県館山市に位置する九重駅駅は、1921(大正10)年に開業しています。半島の先っぽに向けて少しずつ延伸している関係で、これまでの駅よりは若干歴史は浅いようです。
しかし、駅舎は開業当時の形をとどめた木造駅舎です。
赤い瓦葺の切り妻屋根と、入口とその周りに大きく張り出した付け庇、それを支える白い柱と、みごとな下見板張りの壁。
入口付近にかかる駅名板は、地元の小学校の子どもたちが卒業記念として製作したものだそうです。
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駅舎と反対側のホームには、屋根とベンチだけの待合室があり、その背中にはホーロー引きの青い駅名票が掲げられています。
鋼鉄製のスカ色電車と同じように、どっしりとした安心感があります。
昔の感じをよく残した九重駅の駅舎ですが、ところどころ、トタンやアルミサッシで覆われた部分があります。無人駅であるために、やむをえないことではあるようですが、駅舎内の待合室には、備品の盗難や破壊行為をやめるようにというJRからのお願いが貼ってあり、悲しい気持ちになりました。
これだけのすばらしい木造駅舎、みんなの手で守っていけたらいいのにと思います。
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九重駅からまた下り列車に乗って、お隣の千倉(ちくら)駅で降ります。千葉県南房総市に位置し、九重駅と同様に1921(大正10)年に開業しています。
対向式、島式、2面3線を持つ立派なホームには、きれいなお花が植えられています。
出かける前に調べた情報では、ここも古い木造駅舎が残るはず。しかし、反対側の駅舎があるべき方向に見えるのは、なんだか様子が違うような・・・。 |
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跨線橋を渡り、駅舎に近づいて行ったとき、そのなぞが解けました。どうやら千倉駅の駅舎は改築工事が行われているらしいのです。
赤い屋根のいい感じの木造駅舎は、こんなふうに仮設のプレハブ駅舎に変わっていました。 |
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とてもがっかりな気分でしたが、気を取り直して、ホームに戻ってきました。
下り安房鴨川方面行きのホームには、待合室があります。
真っ白に塗られていて、とても清潔な感じがしました。 |
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千倉駅からまたスカ色電車に乗ります。
コンテナ型の駅舎の千歳(ちとせ)駅と、まだ新しい南三原(みなみはら)駅、和田浦(わだうら)駅を通過して、江見(えみ)駅で降りるつもりでした。しかし、スカ色電車の心地よいシートに揺られ、ついつい居眠り、気づいたときは江見駅を出るところでした。
電車はその次の太海(ふとみ)駅を出て、安房鴨川に向かって行きました。緑の中を青いスカ色電車が走ります。
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安房鴨川行きのスカ色電車を見送ったあと、反対側のホームにある駅舎へ出ようと跨線橋を渡ります。
跨線橋から館山方面をみた景色です。
九重駅、千倉駅と同じように、対向式2面2線を持つ、立派なホームが見えます。左側、館山方面行きのホームにある駅舎の、なんと美しいことか。
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改札を出て、駅前広場に出ました。
千葉県鴨川市に位置する太海(ふとみ)駅は、九重、千倉よりも更に遅い、1924(大正13)年の開業です。
黒い瓦葺の切り妻屋根に、ぐるりと囲んだ幅の広い付け庇。そしてファサードには三角の屋根。屋根の妻の部分のみごとな押し縁下見の壁。まるでここだけが時間が止まってしまっているかのようです。
簡易委託のこの駅には、委託の駅長さんがいらっしゃいます。近くにはフラワーセンターや海水浴場などもあり、列車から降りてきた乗客に丁寧に観光案内もされていました。 |
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駅舎を正面から見てみます。
小さな鬼瓦の乗っかった三角のファサードには、ホーロー引きの青い駅名板が掲げられています。駅名板の上のライトは、夜の暗闇の中で優しく照らしてくれるのでしょうか。
正面右側には、レンガ色の水飲み場もあります。今でも健在なのでしょうか、下の方が濡れて色が変わっているように見えます。 |
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1時間ほどこの駅で過ごし、通り越してしまった江見駅に戻るために、また改札を入ってホームにやってきました。
上り館山方面行き側のホームから、下り安房鴨川方面行きのホームを見ます。
反対側のホームには、さっぱりと掃除の行き届いた待合室があり、そこにもホーロー引きの青い駅名票が掲げられていました。
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ひとつ戻って、江見駅に到着です。
千葉県鴨川市に位置する江見(えみ)駅は、1922(大正11)年12月の開業です。
赤い瓦屋根に三角ファサードと広い庇を持つ、開業当時の古い木造駅舎です。
駅には委託の職員の方がおられ、乗客の観光相談に乗ったり、地域の方たちの話し相手になったりされていました。
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三角のファサードの正面から駅舎を見てみてみます。
ファサードには木製のベンチが置かれ、人々がそこに座って楽しそうに話しの花を咲かせていました。どうやらこの駅が、地域のかたがたの交流の場となっているようです。 |
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駅舎をホーム側から見てみます。
瓦屋根をぐるりと取り囲む大きな付け庇を持つ本屋は、房総の駅舎の定番の形です。手前、待合室側の広い庇は、かつては荷物専用のゲートとして活躍していたスペースでした。ゲートの前にはなぜか赤い船がおかれ、駅のアクセントになっているようです。
ホームは対向式2面2線、きれいに整備された長いホームは、とても静かでした。 |
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ホームから改札を見てみます。
改札口には木製のラッチがあります。ものめずらしそうに写真を撮る私に、「なかなか古いでしょ?」と声をかけてくださった委託の駅員さんが、「この木の改札口をたくさんの兵隊さんが通っていったのです」としみじみと話してくださいました。
ラッチにはもともと中央に駅員さんが入って乗降客から切符を受け取る部分があったのですが、車椅子が通れるようにと撤去されたのだそうです。
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ここでも時間はたっぷりあるので、近くを歩いてみることにします。
駅を出るとまもなくに、こんな看板を目にしました。青いホーロー引きの看板には、「塩小売所」と書かれています。
そうでした、塩は現在のようにどこのスーパーやコンビニでも手に入るものではなかったのでした。 |
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駅から数分歩いたところに、海水浴場があります。
日差しの強い日でしたが、9月になって夏休みも終わり、人影はなく、静かな海でした。
赤い小さな灯台だけががかわいらしく佇んでいました。
内房線の駅舎たちに会いたくて、朝一番に家を出たのに、6個の駅での下車が精一杯でした。どの駅もいったん下車すれば、1時間以上の時間をそこで費やさなければならないからです。普段なら長い長い1時間も、房総半島の駅舎たちと過ごすと、あっというまでした。それは多分、木のぬくもりに抱かれた心地よさと、駅の業務に携わる人々の温かさを感じているからではないかと思います。
房総半島の駅舎たち、とても一日では見切れません。続きはまた今度にしようと思います。 |
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2006年9月9日(土)
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